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教養とは「知らなくてもいいことを知っている」ことだと思う

どうもこんにちは。崇(たかし)です。

「あの人は教養のある人だね」という言い方をすることがあります。

なんとなくニュアンスはわかるのですが、「教養がある」とはどういうことなんでしょう。正面切って聞かれると難しいものです。

ぼくは「教養のある人」の条件は以下2つかなと思っています。

・知らなくてもいいことを知っている
・その知識によって、自分の価値観を豊かにしている

知らなくてもいいことを知っている

まず、「知らなくてもいいことを知っている」ということですが、これは「仕事や専門分野について詳しいのは当たり前」だからです。

ぼくは職業柄、ITシステムだったりプロジェクト管理法といった分野では普通の人よりも知識・経験を持っています。
でも、それは仕事をするために必要であったから身に着けたもの。
この仕事をしていなかったら、たぶん今ほどの知識は求めていなかったと思います。

また、テレビに出てくる色々な「専門家」の先生方についても、それぞれの専門領域について詳しいのは当たり前ですよね。それが仕事なので。

そういう人に対して「教養がある」とは言わないと思います。
むしろ専門領域以外のことを何も知らない人は俗に「専門バカ」と言われたりします。

一方で、専門領域とは別にさまざまなアンテナを持ち、たとえば世界史が好きであったり、山歩きを通じて自然や植物についての造詣が深い、という方もいらっしゃいます。

そういう「知らなくてもいいことを知っている」ことが、教養ある人の条件なのかなと思っています。

その知識によって、自分の価値観を豊かにしている

また、色々な知識を持っていても、それをただ貯めこんでいたり誰かに自慢してドヤる人を「教養がある」と呼ぶのは抵抗があります。

人に対して知識をひけらかすというのは「他人」にベクトルが向いています。
そうではなく、その知識があることで自分の価値観を豊かにする、その知識があることで、仕事や専門領域だけでは味わうことができない楽しみや刺激を得ているか、ということが重要なのかなと思います。

祖父の思い出

ぼくの母方の祖父は医者だったのですが、非常に多趣味な人でした。

読書が好きで家には大量の書物がいつも山積み。
クラシック音楽が好きで大量のCDと立派なオーディオ機器を持っている。
カメラが好きで山歩きをしてさまざまな植物を写真に収めて自宅や自分の病院(開業医でした)に飾ったり。
陶芸が好きで、家の食器が祖父の作品だらけだったり。

そんな人だったので色々なことを知っており、ぼくは祖父と話すのがとても好きでした。

医者として生涯を終えた祖父でしたが、おそらくその職業とは別に趣味の世界でとても豊かな世界観を持っていた人だったのだろうなと思います。

ぼくが「教養のある人」という言葉を聞いていつも思い浮かべるのは祖父の姿でした。

その条件を改めて言語化すると、「知らなくてもいいことを知っている」「それによって自分の価値観を豊かにしている」という2点になるかな、と考えました。

そう考えると、「教養がある」ことを目指す、というのも少しおかしな話なのかもしれません。
自分の好きなもの、刺激を受けられるものを追い続けた結果が、そういう生き方になるということなのでしょう。

ぼくも祖父ほど手広くはできないかもしれませんが、引き続き色々なことに刺激を受け、視野を広げて生きていきたいなと改めて思います。

今日は以上です。
ありがとうございました。



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