「自分の話をすること」の快楽を自覚する
どうもこんにちは。
人と直接話す機会が少ない
僕は普段はほぼ毎日リモートワークで仕事をしているため、「人と直接会って話す」という機会が極端に少ないです。
通っているジムも24時間営業の無人ジムですし、定期的に話すのは美容院と整体の人くらい。
この年になると友人ともそれほど頻繁に会うこともないですし、親戚付き合いもそれほどマメではない。
同居している奥さんとは毎日それなりに会話しますが、それ以外の人と会って会話する機会がほとんどないのです。
リモートワークでの会議はもちろん毎日存在しますが、やはりリモートではなかなか雑談のような、業務上必要なやりとり以外のコミュニケーションを持つ時間は少ないです。
久しぶりの「飲み会」
そんな僕なのですが、これまでずっと高稼働だったプロジェクトがようやく落ち着いてきたことで、二年近くほとんどなかった「職場の飲み会」的なイベントに参加するようになりました。
僕はお酒も大好きですし、メンバーと直接会うのも久しぶりでしたので、それぞれの飲み会では大変楽しく過ごすことができました。
本当にとても楽しかったのですが、「何がそんなに楽しかったのだろう」と考えた時に、結構な割合で「自分の話をしていた」からなのではないかということに気づいてしました。
どうも振り返ると、久しぶりの飲み会の席で、僕は結構な割合で自分の話をしていたような気がします。
特に、自分より下位のメンバーと会話する際にその傾向が多かった。
そりゃそうですよね。
僕はこれでも管理職をやっており、参加していたメンバーの中ではかなり職級も上の方に位置しています。メンバーからしたら、「上司」なわけです。
そりゃあ、上司が楽しそうに話してたらとりあえず聞く振りはしてくれるだろうし、それを奪って自分の話を始める人も少ないでしょう。
結果として、僕は自分の話を彼らに押し付けるような構図になっていたのではないか。
嫌われる上司の典型的なムーブをしていたのではないか。
「自分の話をする」ことの本質的な快楽
やはり「自分の話をすること」、そして「それを誰かに聞いてもらうこと」という行為には、本質的な快楽があるのではないかと思います。
人によって程度の差はあれど、みんな誰かに自分の話を聞いてほしいのです。
そして僕は長く続いたリモートワークの中で、無意識のうちにその「自分の話をする」快楽に飢えていたのかもしれません。
そして、職場の飲み会という仕事でのパワーバランスが如実に反映される場において、僕はその飢えから「上司の押し付けムーブ」をしてしまったのかもしれません。
もちろんまったく自分の話をしないというのも不自然ではあると思いますが、少なくとも「自分の話をすること」「他人に話を聞いてもらうこと」に本質的な快楽がある、ということには意識的であるべきではないか。
自分と同じくらい、相手にもその快楽を味わってもらうことが、対等な人間関係なのではないか。
久しぶりの飲み会ラッシュの中で、そんな気づきを得たのでした。
今日は以上です。
ありがとうございました。
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