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わび寂びライカ EU

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わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮っ…
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#旅のフォトアルバム

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って、ピンボケだらけのネガの山を築いた。 アッシジの路地裏。あ、同じカメラを持っている! とお互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった。 ベテラン風情の彼女は、プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して、ライカより良い「キャメラ」、と。 その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうとF3のシャ

遠く異郷の街 コトル

足もとにボールが転がってきた。 顔をあげると3、4歳の坊やがにこにこ笑っている。 カフェの椅子から立ちあがり、サッカーボールを蹴りかえした。 モンテネグロがほこる世界遺産の街コトル。 クロアチアのドブロブニクから 陸路バスで国境をこえモンテネグロに入ると、道はがたがた。 アドリア海をのぞむ断崖のガードレールは、赤錆がうかび心もとない。 2時間ほどで海沿いの小さな街コトルに着いた。 城壁にかこまれた旧市街に足をふみいれると、 中世の裏街に迷いこんだかのよう。 広場のカ

読書する女

分厚い本を読んでいた金髪女が 顔を上げたとたん、視線が合った。 飾り窓の中から秋波を送られたか。 ドイツの思索家ベンヤミンの至言が、 頭に浮かんだ… 「本と娼婦は、ベッドに連れこむことができる」 ハンブルクのレーパーバーンは 「世界で最も罪深き1マイル」といわれ、 昔からの大歓楽街。 すぐに「飾り窓」を連想する向きもあろうが、 健全なバー、ライブハウスやストリップ劇場が 軒をつらね、ナイトクラブめぐりの観光バスまである。 だが、しつこい客引きが表通りにたむろし、 鼻の

パンツの洗濯

ミラノのホテル。 ホテルのクリーニングが 間に合わなかった。 洗ったパンツを 振りまわして水を切り、 ドライヤーで乾かすこと3、4分。 まだ生乾きのパンツをつけ タクシーで空港に急いだ。   綿パンの尻にうっすらと 地図模様が浮かんでいる。 バッグで尻をかくし蟹の横歩きで、 ファッションの街から 水の都ヴェネツィアへ 機上の人となった。 旅の準備は、 パンツの枚数を先ず決める。 こまめに洗濯すれば、 数は少なくていい。 浴槽にぶちこみ足でふみ洗いする。 バスルームは、

カフカの墓

晩秋のプラハ。 旧ユダヤ人ゲットーのあたりを歩きまわって フランツ・カフカの『変身』が浮かんだ。   若いセールスマンのザムザが、 朝、目覚めると毒虫に変わっている自分に 気づく不気味な小説。 「これが僕の高等学校、むこうの、 こっち側をむいた建物の中に僕の大学、 そのちょっと先の左側が僕の勤め先」と カフカは、小さな輪を二つ三つ描き 「この中に僕の一生が閉じこめられている」 と旧市街広場を見下ろしながら語っている。 結核のため世を去るが、 41年の生涯、 ほとんどプラ

プラハの若いふたり

古都の香りただよう プラハのビヤホール。 口あたりが良く且つ重たい本場もの ピルスナーを ごくごくと喉に流しこんだ。 そこへ栗毛の若い女性が 声をかけてきて 「日本からいらっしゃった方ですか」 今の日本人が忘れたかのような 整った日本語、しかも美人で 聡明な雰囲気の持ち主だ。 カレル大学哲学部で 日本学専攻の三年生、名はユリエ。 日本人みたいな名前でしょ と笑った。 彼女は、 なんと三島由紀夫の ファンだという。 『金閣寺』など二〜三冊、 むかし読んだきりで、

ワイン小咄

ブルゴーニュの銘酒街道の一角。 十字架の列が目にとびこんできた、村人の墓。 まわりのぶどう畑では、せっせと房を摘んでいる。 このあたりにこんな歌が伝えられている。 もしも、わたしが死んだなら 墓穴のなかのわたしのそばに なみなみと注いだワイングラスを 忘れずに置いてくれ ……… もしも俺が死んだなら 酒蔵のなかに埋めてくれ いいワインのある酒蔵だ 酒蔵のなかだぞ いいかい よいワインでいっぱいの酒蔵だぞ 俺の墓石のうえに刻んでおくれ 「酒飲みの王 ここに眠る」

ひと粒のロマネ・コンティ

ロマネ・コンティ1985年。 豊かな香りが鼻先にひろがる。口にふくむと、豊饒、 さらに気品と繊細を感じる。 熟れているが初々さが同居する。 ずいぶんと奥行がある。 20年ほどまえ、一本25万円で仲間5人と割り勘で楽しんだ。 いまでは、200万から300万もする。 このロマネ・コンティは、期待を裏切らなかった。 本音をいえば、極上のいい女に出会った思いで、 今もそれを引きずっている。 2000年9月。 太陽がじりじりと照りつける。30℃はある。 ブルゴーニュのワイン畑では

朝からギネス

25年まえ。ダブリン空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手が、 ギネスは世界最高のビールさ、パブで飲むギネスはうまいぜ、 と盛んにすすめる。 さらに、行きつけのパブの名前を書いたメモまでくれた。 アイルランドの国民的飲料ともいえるギネスを飲まずして、 この国を語れない。 さっそく醸造所を訪ねた。 ただようポップの香りにひかれ見学ルートをカット、パブにむかった。 朝10時すぎ、早や3組の先客が黒ビールを楽しんでいる。 朝からギネスか。 さっそく「パイント、プリーズ」。

さらばグラダナ、わが愛を!

晩秋、観光客があふれるアルハンブラ宮殿をさけ、フェネラリーフェに足をむけた。 アルハンブラ宮殿は城塞であり、イスラムの王が政務をとる場で、その住まい。 フェネラリーフェは、王の離宮で女人禁制であった。宮殿とは谷ひとつ隔てた丘にある。   そこは人もまばらで別天地であった。 ひそやかにひびく水音がする。イスラム庭園の粋「水路のパティオ」。 静かな空間に、いっそうの奥行を与える水の音。 日本庭園の鹿威しの、まわりにひびく澄んだ音だ。 これはオリエントの世界。   さらに奥へ

銃口を向けられた東ベルリン

便座に腰かけたら、足が床にとどかない。靴が床から10㎝ぐらいのところに浮いている。地に足がつかないとは、このことか。 ローマ空港のトイレで味わった情けない思い出だ。 旅をかさねると、愉快な話、恥ずかしい話が多々あるが、怖い話もある。 60年ほどまえ1965年、自動小銃の銃口を向けられたことがある。 ベルリンの壁にある検問所、チェックポイント・チャーリー。 車のトランクなどに隠れて東から西への脱出が絶えない場所で、 東西冷戦のさなか、スパイ小説や007などの映画の舞台にも

ライカよもやま話

25年ほどまえ、ドイツはハンブルクの街角。 暗がりにライカM6をおとしてしまった。レンガの舗道に落下しガチッと音がして底蓋の角が凹んでいた。レンズの鏡胴にも傷がある。おそるおそるフィルムを巻きあげ、翌朝カメラ屋にとびこんだら、ちゃんと動くよ、と。 港町ハンブルグの路地裏を歩きまわりスナップを撮ることができたのは、頑丈でなかなか故障しないライカのおかげであった。ドイツ製品の堅牢さとそれへの信頼がある。 1910年代、ドイツのオスカー・バルナックが小型カメラの原型を発明し、