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カフカの墓
晩秋のプラハ。
旧ユダヤ人ゲットーのあたりを歩きまわって
フランツ・カフカの『変身』が浮かんだ。
若いセールスマンのザムザが、
朝、目覚めると毒虫に変わっている自分に
気づく不気味な小説。
![](https://assets.st-note.com/img/1675661968522-iWqrOMLRbX.jpg?width=800)
「これが僕の高等学校、むこうの、
こっち側をむいた建物の中に僕の大学、
そのちょっと先の左側が僕の勤め先」と
カフカは、小さな輪を二つ三つ描き
「この中に僕の一生が閉じこめられている」
と旧市街広場を見下ろしながら語っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1675633073198-MoKW8rn74v.jpg?width=800)
カフカの姉・妹は、ナチスの強制収容所で
亡くなった
結核のため世を去るが、
41年の生涯、
ほとんどプラハを離れず
ボヘミアの首都を
愛したカフカ。
が、チェコ人でも
支配階級のドイツ人でもなく、
経済的に成功した父を持つ、
ドイツ語で小説を書く
ユダヤ人であった。
つまりチェコ系からも
ドイツ系 からも
さげすまれ
逃げ場がない存在でもある。
だからこそ、
労働者災害保険局での
単調な勤めのあと、
夜、発表のあてなどない
小説の世界に
自己の存在意義を
求めたのだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1675633193177-pJWOMJSPKy.jpg?width=800)
『変身』で
自分を毒虫にたくし
自己を見つめながら、
現実世界の不条理を
笑ったのだ。
カフカは、1924年、
ユダヤ人強制収容所を
知る由もなく
無名作家のまま亡くなった。
1989年の東欧解放後、
死後半世紀ほどで
カフカは世に出る。
![](https://assets.st-note.com/img/1675633212679-z83kTUX0Lk.jpg?width=800)
最近は、カフカ記念館までオープン。
山ほどある解釈と評価を、
誰より苦笑いしているのは、
自作が死後読まれることを
望まなかった、
地下のカフカではないか。
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