シナリオの芸術性。制限こそ自由、省略こそ芸術。
シナリオには、制限があります。どんな制限かというと。書き方の形式、つまりフォーマット。映像作品の時間的制限、つまりシナリオの枚数制限。制作費予算による、演者や撮影・編集スタッフなどの金銭的制限。
実は、その制限が芸術を生むのです。
今回は、制限についてお話ししたいと思います。
自己紹介。ターシー・イシコロと言います。
高校時代は作文が超苦手で偏差値40の男が、「映像ディレクターになって世の中をハッピーにしたい」という夢を起点に、大学で映画制作、シナリオ創作を学び、映像ディレクターとして20年以上、400本以上の映像作品を創ってきました。シナリオもドキュメンタリーの原稿も、テレビ番組の台本も、プレゼンテーション資料など様々なモノを書いてきました。
やはりその根底にあるのは、シナリオです。最初に学んだシナリオライティングで重要な要素だと思うことを皆さんと共有してお役に立てればと思います。
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フォーマットは自由な発想の基盤。
自由な発想をする芸術家、フォーマットを軽蔑しないまでも、私には無関係ですといった顔をするヒトがいます。
確かに、杓子定規的な「昔からあるスタイルなのだからこうでなければならない」といった考えの持ち主では、自由な考え方にはなりません。
しかし、昔からあるスタイルや習わしというフォーマットを守ることに固執していてもいけません。実は、フォーマットにはもう一つの効用があるのす。多くのヒトはそのことに気が付いていません。フォーマットは不自由どころか、自由な発想を促す基盤でもあるのです。
では、フォーマットには、どのような効用があるのでしょうか。
五・七・五の俳句は「束縛の芸術」。
日本には、文芸の粋を極める芸術「俳句」があります。
ご承知の通り俳句は、たったの17文字の文字数で、さらに季題まで盛り込まないといけない。このフォーマットにハマらなければ、俳句としてみとめてくれません。しかし、このフォーマットに異議申し立てをするヒトを見たことがあるでしょうか。むしろ、このフォーマットがあるからこそ、世界最短の詩の芸術としてすべてのヒトに認知され、愛されています。フォーマットの中で、いかに広大に奥深く表現するかを拠り所としているのです。
シナリオでも同じようにフォーマットが存在し、限られた制限の中で、表現を最大限に引き出す努力がなされているのです。
シナリオの形式は、発想を促すことができる。
シナリオには、書き方があります。
「柱」があって「ト書き」があり、そして「セリフ」です。この三つの制限の中で、文字をつかって映像表現をするのです。
読むヒト、つまり映像制作に関わるスタッフに理解してもらうことはもちろん、発想を拡大してもらう役割を担っているのです。
柱で、場所や時間を具体的に書き、ト書きで人物の描写を描くことによって、抽象的なイメージをより具象的なイメージに形作っていくのです。
抽象を具象にする2つの方法。
シナリオ創作では、脳内にある抽象的なイメージを具象化していく作業をしなければなりません。
そのために、この2つの方法が重要になります。
第一に「せっぱ詰めること。」
第二に「拠り所を作ること。」
ょっと分かりにくい表現なので、それぞれ説明しています。
せっぱ詰めるとは。
せっぱ詰めるとは、締め切り時間や制限があると言うことです。
大きくは以下の四つがあります。
①時間の締め切り。
②予算の制限。
③セットやロケの制限。
④できる演者やできない演者など。
こういった要素で、できることできないことが具体化していくわけです。
そして、もっと重要なことが拠り所を作るということです。
拠り所を作るとは。
オリジナル作品というと、いかにも白紙から始まるというように考えがちですが、実際には、なんらかの土台があったりするものです。
作家や映画監督というのは、意識するにせよしないにせよ、それまで読んできた小説なり、見てきた映画なりの土台にして、拠り所していることがほとんどだと思います。
例えば、黒澤明監督も、シェイクスピアの戯曲を素にした作品を数多く手がけていますし、芥川龍之介やトルストイなどのクラシック文学から大きな影響を受けています。
私はアガサ・クリスティの小説が好きなのですが、その中に「ABC殺人事件」という作品があります。この作品も「セブン」というブラッド・ピットとモーガン・フリーマン主演の映画作品の拠り所になったのではと思う所が随所にあります。
才能がないのではない。拠り所がないだけ。
そして、よく耳にするのが、作家を目指すヒトの中に「発想ができない。才能がない」と嘆くヒトがいます。しかし、その理由のほとんどが、実はこの下地となる拠り所がないヒトが多いのはないかと思います。
偉大な映画監督、作家、芸術家は、よくクラシック作品の中からフォーマットを見いだし、それを自分なりにアレンジして現代甦らせ、素晴らしい作品を創ります。
その最たる映画がスター・ウォーズです。スター・ウォーズも神話をモチーフに作られています。それをジョージ・ルーカス監督がユニークなキャラクターを生み出して、ハイテク技術で現代版に甦らせたのです。
拠り所を持つことによって、誰でもきっといい発想ができるに違いないのです。
構成で感動を生む。
シナリオの枚数は、200文字原稿用紙で250枚程度。
この中に多くのシーンが書き込まれ、さらにセリフが書き込まれています。
ワンシーンにも、一本のセリフにも構成がある。
枚数が少ないと構成できないじゃないかと言われるヒトもいますが、これはストーリー展開と間違えていることが多いと思います。
構成とは、「効果的にインパクトを求めて様々な要素をまとめること」
だと私は思っています。
例えば、短いセリフにしても
少年「お父さん、ボクの声が届いた?」
と描くか
少年「ボクの声が届いた?お父さん」
もちろん前後の内容でも変わりますが、これだけでも印象が大きく違うと感じると思います。
シナリオは省略の芸術なのです。
よく枚数は自由を拘束するという観念があるヒトがいます。
シナリオの場合、ずばり言うと、それはわがままです。
考えて頂くと分かりますが、シナリオは映像の設計図です。
6時間の映画を見たいと思いヒトがどれだけいるでしょうか。
近年は2時間でさえ、集中力が持たないと言われる時代です。
ストーリーを作るとき、そのドラマの時間の中で、現実のすべてを描くことはできません。当然、省略しなくてはならないのです。
場所も、登場人物のセリフも、全部を書かずに俳句のように、
観客に世界を拡げる工夫をしなければならないのです。
シナリオはすべて省略、省略です。その上手な省略こそがシナリオの技術であり、芸術なのです。
シナリオ創作では、芸術とは、制限の中にあると考えたいものです。
まとめ
フォーマットは自由な発想の基盤です。
例えば、五・七・五の俳句は、17文字の制限とさらに季題まで加えなければならないといけません。まさに「束縛の芸術」と言えます。
シナリオもフォーマットがあるからこそ、発想を促すことができるのです。
脳内の抽象的なイメージを具体的にしていくためには、2つの方法があります。
ひとつが、せっぱ詰めることであり、もうひとつが、拠り所を作ることです。才能がないと感じているヒトは、この拠り所つくるところから始めて見るといいでしょう。
また構成によって、感動も作り出せることが可能です。
シナリオは、文字数多く長く書けばいいというものではないのです。シナリオは省略の連続です。省略こそがシナリオであり、芸術なのです。
最後に、私も、映像ディレクターとしてシナリオやドキュメンタリーの台本など多くの原稿を書いてきました。実は、学生の頃は作文がとても苦手で、国語はいつも5段階評価で2、偏差値は40くらいしか取れない文字通り劣等生でした。しかし映画好きで、「ディレクターになって世の中をハッピーにしたい」一心でシナリオを学んで、いまこうして皆さんにも文章を通じてシナリオライティングのすばらしさをお伝えできるようになっているのだと思います。文字表現で人にメッセージを伝えることができるのは、ビジネスでも映画のようなアートでも大きな武器となります。
是非、この機会にシナリオライティングを学んで頂き人生を生きていく上での武器を手にしていただければと思います。
またツイッターでこの記事を広めて頂いたりすると私は泣いて喜びます。
是非、いいねや拡散の程も、よろしくお願い申し上げます!
また、シナリオライティングでも映像制作、動画編集に関してでも、質問や分からないことがあれば、なんなりとお気軽にお声かけください。皆さんがハッピーになるのであれば、できるだけご協力致します。
それでは、次回お会いしましょう!
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