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【個性と感性を磨くデザイン思考】シリコンバレーの学校生活はこんなカンジ!

家族で米国に移住を始めたのは長女が8歳、長男が6歳のときでした。環境も言語も全く異なる異国の地で彼らは成長し、気が付けば16歳と14歳。まだ私の半分しか無かった息子の身長も私と変わらない程になりました。私が独立を決意し、子供達に「日本とアメリカ、どっちに住みたい?」と訊いた際、二人とも「アメリカ!」と即答したのを思い出します。今ではすっかり流暢な英語を話し、何でも一人で熟せるようになった二人の子供達。彼らの成長を見守りながら、学校生活や子供の日常を通じ米国と日本の違いなどにも気付かされます。今日はそんな子供達と我々の生活を少し垣間見て頂きます。

テクノロジー、ビジネス、そしてデザイン思考へのごく自然なタッチポイント

長女が通うハイスクールでは英語の担当教師がGoogle認定のイノベータでサイエンスの教師と共同でデザイン思考を取り入れた独自のカリキュラムを作成、チームに分かれて各自旅行会社になったつもりで独自のウェブデザインを作りながら(なんとHow Might We~?の思考法まで普通に演習!)デザイン思考、マーケティング、プログラミングを同時に学んでいきます。また長男が通うミドルスクールのRobotic ScienceのクラスではJAVAスクリプトやPythonを学びながらゲームやロボットを制作する授業もあります。子供時代にこんなことが学べたらなぁ〜と羨ましい限りです。

また二人ともエレメンタリースクール時代からディベートの授業があり、論理的思考や自己表現、議論する力を身に付けます。早くからテクノロジー、ビジネス、そしてデザイン思考に、楽しく、且つ実践的に触れる機会が豊富にあります。一方、学校運営にも様々なツールが導入されていて、例えば、Power Schoolは出欠や学習状況、各教科の成績とGPAポイントが常に可視化されスマートフォンを通じて父母と共有されるツールで透明性とリアルタイム性が高く、これがあることで毎日子供と相談しながら学習方針が立てられ大変重宝します。

自己肯定を“超当たり前のこと”と思える環境

学ぶための方法も豊富。学区毎に特性の違うPublic Schoolに個性豊かなPrivate School、さらには家庭で学ぶHome Schoolingも選べる。選ぶ理由も色々で学習のスピード、性格の向き不向き、或いはライフスタイルなど。一年間家族で世界旅行するためにHome Schoolingにする友人さえいました。つまりそれは経済力や能力の優劣などではなく「多様性」として認められている。子供にとって最も大切なことは、生まれてきたことを良かった(Be Optimistic!)と思えること、自分に自信を持つこと、愛されている実感を得ること、つまり「自己肯定」を“超”当たり前のことと思える環境だと私は思っているので、こうした多様性に寛容な環境は我々にとって理想的です。

私達の場合、最初に選んだのはWaldorf Schoolというシュタイナー教育の私立校でした。音楽やアートの教育に力を入れることでより高次の思考や精神性、個性を磨く教育方針を実践する点が我が家にはピッタリでした。教員はプロのアーティスト並みのチョークアートを黒板に描き、彼らの繊細なグラデーション表現に倣う内に生徒たちも独自の表現力を身に付けていく。音楽では体感性を重視し、身体に共鳴しやすい楽器(弦楽器など)が必修となっており、ウチは二人ともチェロを習っていました。この時期(6歳~10歳)のこうしたインプットは二人に多大な影響を与え、今でもその色彩感覚や音楽性は彼らの個性に色濃く生きています。

「正しさ」ではなく「考え方」を求められる

東京の学校に行っていたときと今とで最も変わったなぁと思うこと。それは一言で言えば「頼もしくなった!」でしょう。言い換えれば積極性や負けん気の強さ。米国のティーンエイジャーは映画やドラマで見られる様に押しも当りも強いし背も大きい。彼らの中で揉まれ、議論したりスポーツで競い合う(二人ともバスケットボールをやっています)中で、自然と身に付いた強さでしょう。元々が(私に似て?笑)優しくて人当たりの良い性格にそんな強さがブレンドされ、程よいバランスになったのではないかと思います。

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また、学校で求められる思考方法も、一つの正しい答えを見出すことを求められる日本に対し、「多様な答えを見出すための多様な考え方を求められる」とよく言っています。どんな場面でも答えが一つしかないと思い込むのは危険です。答えは常に多様であり、それに到達するための考え方はさらに多様であるはず。自分の答えが誰かの答えと違っていて当り前。だから自分の考えが他人と違うことも一切恐れない。先日、長女は土曜日に通っている日本の補習校で「この中で将来、社長になりたい人~?」という教師の問いに対し、周囲が尻込みする中、たった一人だけ手を挙げたそうです。私はこれを聞いて本当に嬉しく、娘を誇らしく思いました。

子供から友、そして頼れる同士へ

ところで私の子供達との接し方には①親として、②友人として、③対等な人間としての3種類があります。小さい頃は①が100%ですが、彼らが成長するに従って②や③の比率が徐々に増えて来ますから、①②③を問題ごとに使い分けるようにしています。③で応えるべき問題を①で応えたり、またその逆だったりすると大概嚙み合わない。敢えて逆張りすべきときもありますが、いずれにせよペルソナに対し適切なインターフェースを選択することで言葉一つでも浸透力は格段に増します。

私や妻の腕の中で小っちゃく抱っこされていた子供たちが、いつの間にか自分と対等に話し、時に親を助けてさえくれる。子供から友、そして頼れる同士へTransformしていく。そんな中で求められる親の役割は、ひたすら彼ら自身がやりたいと思うことを思う存分やらせ、支援し、それを通じてやり甲斐と自信、幸せを感じて貰うことでしょう。海外で生活する我が家の場合は特に自分の脚で立ち、自分の力で生き残っていくタフネスと楽しさを満喫できる。米国で独立してやっている自分の姿を見て、そんな野性的なサバイバルを恐れず、寧ろ、憧憬を持って貰えているならサイコーに嬉しいですね!

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