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【笑顔の”反逆”】非常識という創造の原動力

以前に、生活やビジネス環境に多大な影響を与えたこのパンデミック下であっても、工夫次第でビジネスを拡大できるという話をしました。逆境を逆手に取って反転させる。デザイン思考やデザイン思考的な生き方はそれを可能にします。その意味に於いてデザイン思考は生存本能そのものでもあると言えるかもしれません。デザイン思考の中にある要素には、厳しい社会や生活環境を生き抜くための原動力がある。私には、例えばそれがある種の「非常識さ」だったりするのではないかと思えるのです。今日はそんな話をしてみたいと思います。

非常識な人に厳しい日本と寛容な米国

私は小さい頃から非常識な人間だったと自覚します(笑)。非常識な人の要素。ルールが守れない、誰でも知っていることを知らない、普通のことができない、人と違ったことをやりたがる等々。何故そうだったのか?共に教師であり常識人だった両親の元で育った反動なのかもしれませんが、実態は分かりません。ただ、米国での生活が長くなるにつれて、そうした私の性質は米国では余り苦になりませんが、日本ではなかなか許容されにくいように感じます。

米国に居ると、米国人が交通ルールや公共の場での振る舞いなどでは日本人よりもキッチリとルールを守るのを目にします。元々移民の国であり様々な文化や思想を持つ多様性の上に成り立っているため、共通性を持ち難い暗黙的な常識よりも、明文化されたルールを尊重する風土。一方で元々単一民族の日本では暗黙的な常識を強く意識するのだろうと思います。

また米国は、科学的で客観的、論理的な理解や合意形成を追求する風土があります。科学的、論理的に理解しない限り納得しない。絶対にうやむやにしない。逆に言えば交渉事など「言ったもの勝ち」的な文化もあり、例えば役所の手続き上のトラブルなど一見埒が開きそうにないややこしい問題であっても諦めずじっくり話してみると意外に打開できることが良くあります。

また、自己責任を重んじる国でもあり、互いに「ルールさえ守っていれば文句言われる筋合いはない」という意識も強い。このように、暗黙的な常識よりも、自己責任や科学的、論理的な理解や合意を重んじる米国の風土が私には心地よい。暗黙の常識を押し付けられることが正直私にはしんどい。むしろ一般常識を疑い、覆す生き方の方が好きなんだろうと思います。

常識を疑う。創造の初歩としての「拡大解釈」

私が行うデザイン思考ワークショップの中に「拡大解釈」を実践するワークがあります。一般に「拡大解釈」は「コラッ!都合よく拡大解釈するな!」みたいにどちらかと言えば否定的に使われることが多い言葉です。しかし「解釈を拡大し拡張する」ことは、一般的解釈を超えてさらに広い解釈の余地を探るという探求的で創造的な行為でもある。つまり「拡大解釈」は良い意味で常識を疑い、固定観念や既成概念を打破する初歩になり得ます。

オンラインで行うフィールドワークでは参加者に家の中で探した様々なアイテムをSlackで共有しながら、それらに対し皆で新しい解釈の余地を見出していきます。例えば、先日行ったワークショップ、健康をテーマにしたディスカッションの中で、スイカの写真が共有されました。スイカに健康的解釈がどこまで可能か。 すると常識的なスイカの解釈を超えて拡大されたスイカの新たな輪郭が見えてきました。

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「重いスイカを持ち上げる・転がすレース」「給水効果の高いスイカ」「持つと手のツボが押されるスイカ」「目が良くなる模様のスイカ」「超気持ちよく割れるストレス粉砕スイカ」「飛ばすとスゴイ飛距離が出るタネ」「割るとその日の健康度を色で知らせるスイカ」「割る度に2歳若返るスイカ」等、まだまだありますが、、スイカに健康がオーバーラップして初めて見えてくる様々な側面。解釈を拡大し、常識に囚われない発想が連鎖していきました。

世の中の見え方を変える"笑顔の反逆"

このエクササイズに参加した皆さんが口にする感想に「これをする前と、した後では風景が変わって見える」というのがあります。身の回りにある何の変哲も無いモノに対して、異なる見方を与えるだけで全く新たな可能性が発見できる。それまで一つしか与えられていなかった解釈を10にも20にもすることで想像上の空間には何百倍もの情報量を持った新たな風景が現れる。これに馴れてくるとペットボトル一つ前にしてニヤニヤと1時間くらい眺めて居られるようになります(笑)。

一般常識は、ある意味では革新や創造の余地を阻む同調圧力のようなものです。またネットやメディアを通じ真偽の定かでない情報、意図的に捻じ曲げられた情報など、玉石混交の情報が錯綜する現代に於いては、常識や一般的な解釈を疑い、固定観念や既成概念の呪縛を打破することは、本来見つめるべき視点を獲得し、正しい情報へのアクセスを促し、結果、厳しい社会を生き抜くための原動力にもなる。常識を微笑みながら疑い、楽しく覆す。そんな“笑顔で行う反逆”がこの時代を生き抜くためには必要なのだろうと思っています。

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