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【問題行動をフラットに「分析材料」として捉える】ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治)

非行少年たちに共通する特徴5つ+1

宮口さんが数百人の非行少年と面接をくり返す中で見えてきた類似点を分類すると、以下のようになります。

  • 認知機能の弱さ 見たり聞いたり想像する力が弱い

  • 感情統制の弱さ 感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる

  • 融通の利かなさ 何でも思い付きでやってしまう。予想外のことに弱い

  • 不適切な自己評価 自分の問題点がわからない。自信がありすぎる、なさすぎる

  • 対人スキルの乏しさ 人とのコミュニケーションが苦手

  • 身体的不器用さ 力加減ができない、体の使い方が不器用

こうした特徴がみられる子はどの学校、どのクラスにもいます。
この本の主旨は、そうした「困った子が必要としている支援に適切に取り組む必要がある」ということです。

子どもたちが発しているサインを、私たち教師はどのように受け取っているのか

教育相談や発達相談に寄せられる次のようなケースは、実は少年院に入るような非行少年たちにも共通する特徴でもあります。

  • 感情コントロールが苦手ですぐにカッとなる

  • 人とのコミュニケーションがうまくいかない

  • 集団行動ができない

  • 忘れ物が多い

  • 集中できない

  • 勉強のやる気がない

  • やりたくないことをしない

  • 嘘をつく

  • 人のせいにする

  • じっと座っていられない

  • 身体の使い方が不器用

  • 自信がない

  • 先生の注意を聞けない

  • その場に応じた対応ができない

  • 嫌なことから逃げる

  • 漢字がなかなか覚えられない

  • 計算が苦手

  • 勉強についていけない

  • 遅刻が多い

  • 宿題をしてこない

  • 友だちに手をあげる

  • 万引きをする

※「こうした特徴がある子は非行少年になる」という曲解には注意してください。私もいくつか当てはまりますが、いたって普通に暮らしています笑


ここで考えなければいけないのは、こうした問題行動に対する私たち教師の捉え方が表面的になっているのではないか、ということです。

例えば、何でも人のせいにする子に対して、「人のせいにしないで」と一方的に説教して指導した気になっている教師。
「やったのはあなたでしょう」
「善悪の判断は自分の頭で決めるのです」
「ダメなものはダメ」
と、本人の気付きや言い分をすくい取ることなく一方的に叱るだけでは、本人の気付きや次への意欲につながることはないでしょう。
ごまかすか、この教師の前でだけやらないようにして裏でやるか、ここで受けたストレスを別な形で表出させていくか・・・

加えて、「またあの子か」という周りのレッテルにもつながり、大人だけでなく子ども集団からの冷たい目にさらされることにもなりかねません。
こうして、大人からも同級生からも孤立し、支援を受けられなくなっていく「困っている子」が、どうしようもなくなって非行へと進んでいってしまう道は想像がつきます。


この「人のせいにする」という行動一つにも、その子が今まで培ってきた経験が形作ってきた価値観が表れているはずです。
また、その子本人の特性や置かれている環境の要因も複雑に絡み合っています。


その子の行動を「指導・矯正すべきこと」として捉えると、その子の本質的なヘルプに応えることなく表面的な対応で終わってしまいます。
こうした行動をいいも悪いもなく分析材料の一つとして捉え、「その行動の裏、背景に潜んでいるものは何か」を考えていく必要があります。


こうした事態に対応するために学校現場でコスられまくっている「ほめる」「話を聞いてあげる」という解決策も、その場を取り繕うだけで本質的な解決にはなっていません。
おだてているだけで内実の伴わない「ほめる」は、単なるおざなりほめや人中心ほめになりやすいです。
また、「話を聞いてあげる」にも多くの子どもを抱える学級担任の先生が際限なく話を聞いていられるわけではありません。


学級担任にできることは何だろう?

筆者は非行少年が「自分が変わるための動機付け」として、次の2点を挙げています。

  • 自己への気付きがあること

  • 自己評価が向上すること

気付きを促すというのは本当に難しいことです。
「気付く」の主体は子ども本人です。
教師側がどんな優れたアプローチをしても本人が気づくかどうかは本人次第。
説教や叱責で子どもがすぐに気づけばいいですが、認知機能の弱さや感情統制の課題を抱えた子どもが「気付き」にまでたどり着くのは至難の業でしょう。

そこで、私たち学級担任は少しでも多くの、かつ様々な気付きの可能性のある場を提供する必要があります。具体的に私がすぐに思いつくのは、

  • 目標設定と解決のための取組、その総括を取り入れる(生活目標や行事など)

  • 仮説実証実験に取り組む(理科・総合・探究的な学び)

  • 子どもが相談して何かを決め、実行する活動を取り入れる(遊び、学活、総合、各教科でのグループ学習)

  • グループでの係活動や個人の当番活動での目標設定と総括

  • 発表会やプチ展覧会でのフィードバック(各教科・行事)


いずれも教師の一方的な指導では成し得ない、「子ども同士のコミュニケーションや子どもと教師の相互応答がふんだんに含まれる体験活動」が重要なのではないか、と考えました。


こうした営みのチャンスは学校生活の中で数多くあります。
普段の授業の中にだって、きっとそのチャンスは転がっていて、それを「気付きを促す活動」にまで昇華できるかどうかにかかっているのだと思います。
日々の目の回るような業務の中でも実現できるような、ちょっとした工夫を模索していきたいと思います。


ケーキを切れない非行少年たちの学校での苦しみ、悲しみに思いをはせる

最後に個人的な感想です。
こうした困った子(困っている子)への支援こそ、私たち教師のスタンスが問われることを肝に銘じなければと感じました。

短い時間で端的に指導を済ませ、クラスをスマートにまとめ上げていくスタンスをよしとしていると、「困った子(困っている子)」は教師やクラスメートから集団の秩序を乱す厄介者としての見方を余儀なくされます。
教師の指導に乗っかることができる子を囲い、そこからあふれる者を排除するような、そんなクラスが教師の手によって形作られていくのです。
ヘルプを求めている子がヘルプを出せなくなり、いつしかそのヘルプすらもなかったことになっていったとしたら、ケーキの切れない非行少年を生み出すことに加担することになるでしょう。

「困った子(困っている子)」の行動を1つの問題提起として捉え、(見せしめやつるし上げにならないように十分に注意しつつ)その子から学ぼうというスタンスは、ひとりひとりの「違いが学びを生む」という気付きにつながり、ちょっと異質な子も集団の中に居やすくなっていきます。
ヘルプが受け止められ、気付きへと変わっていくことが、その子の「自分が変わることへの動機づけ」につながり、意欲へと変わっていきます。

著者の考える認知機能のトレーニング(コグトレ)も確かに有効な手段ですし、支援を必要とする人が適切に支援を受けられる体制を整えることも大事です。

でも、私たちは教師であり、学級担任です。
「置かれた立場の中で最大限のできることを模索し、時に失敗しながらも子どもたちと共に在る」というスタンスで私はいきたいと改めて感じました。
まあ、保護者・教師をはじめとした、関係するすべての大人がそれぞれに「できること」をやるだけなんでしょうけどね。
少なくとも、子どもの現実に目を背け、表面的・場当たり的に対応し、責任を別の立場に押し付けるような教育者にだけはならないように気をつけていきたいと思います。

ケーキを切れない非行少年たちは、きっと学校で多くの傷つきを経験してきたはずです。
教育や子育てに携わる者として、そのことは忘れないでいたいと思いました。



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