緩い交通整理の必要ーSNSとラジオ

mixiもTwitterもFacebookも Instagramも、結局SNSは必ず成長に天井があり、構造とそこに収容されるターゲットが丸ごと商業的・広告的価値を次第に失う宿命にあるってことなのかね。metaやTwitterの惨状を見ると、そういうことなのかなと思う。

Twitterがイーロン・マスクの買収によって混沌とし、その中で「トレンド操作」などのキーワードで、社員によるTwitterの政治的操作を疑う人が増えている。現時点で真偽は不明なので何とも言いようがないけれど、SNSはコミュニティを産む一方、それらが先鋭的に対立するエコーチャンバーの機能も提供してしまう。これはSNSの宿痾としか言えない。それをキュレーションという形で交通整理しようとすると、キュレーターの陣容とその思想を余程オープンにしないと、却って「操作している!」とSNS運営が叩かれてしまう。

このような「抱えているターゲットの(商業的)属性の変化」と「交通整理の難しさ・エコーチャンバー問題」を克服し、かつ長期間商業的に成功しているSNSというととんと思いつかないのだけれど、実はラジオにはそれらの問題を克服した事例があったりする。

TOKYO FMをはじめとするJFN系列で放送されている「SCHOOL OF LOCK!」という中高生向けの番組がある。2005年の秋に始まって、もう17年も続いている。この番組の立ち上げ期に、私は営業企画の担当として携わった。実はその草創期に「2ちゃんねる化しない番組づくり」をキチンと考えた人がいる。初代プロデューサーの森田太氏だ。彼と番組スタッフの取り組みに強い感銘を受けたので、SNS時代にも参考になるのでは、と下記する。

当時ネットコミュニティのプラットフォームとして、2ちゃんねるは存在感が大きかった。あらゆるコミュニティが存在したが、基本的には無法地帯で『半年ROM』って空気を読み、fusianasanのようなトラップ、ブラクラ、グロ画像、罵詈雑言などを巧みに避ける力がないととても利用できない西部劇の荒野のような環境だった。しかし、有益なコミュニティも沢山あったから、なかなか扱いが難しい「場」だった。

森田氏は、ラジオの「パーソナリティとリスナーの向き合い」に、「リスナー同士の向き合い」という軸を明確に置き、それを学校に準えた。前者は先生と生徒、後者は生徒同士という形だ。そして生徒同士のコミュニティは「教室」とされ、リアルの教室とは違うサードプレイスとしての空間にした。それを実際に機能させたのは番組サイトの掲示板で、そこには2ちゃんねるの機能を「ラジオで改良する」取り組みがあった。

掲示板は(登録制で)24時間誰でも書き込みが出来てコミュニケーションが取れたから、リアルの教室に居場所が無いリスナーでも本音で会話ができた。嬉しいことも辛いことも何でも言いやすかった。しかしそこにネット特有の匿名の悪意が入り込まないように、「24時間スタッフが掲示板を監視し、交通整理したり悩みを大人として聴いたり」して、「番組の中でパーソナリティが掲示板内の話題などに真正面から対応する。必要に応じてリスナーと直接対話する」ことをした。もの凄い労力が必要でも、それを行なった。デジタルな処理ではなく人力で、「誹謗中傷は削除」「でも議論は健全になされるように促す」という対策が取られた。

結果、少年少女が匿名で集まるコミュニティながら、掲示板は番組と有機的に連携して、パーソナリティやスタッフが「コミュニケーションの船頭」として交通整理をした。コミュニティはエコーチャンバー化することなく、番組はそこに棲むリスナーたちへの広告媒体としても機能し、民放の番組として成功した。

また学校の形態を取ることで、リスナーはいつか「卒業」していく形ができた。同じ属性のコミュニティが新陳代謝しながら継続できた。一応大学生リスナー向けの企画が誕生したり、社会人になったSCHOOL OF LOCK!リスナーに向けた「Skyrocket Company」(TOKYO FM)なども始まり、ライフステージごとにコミュニティが用意されるような形になっている。

ラジオは番組や局単位でのコミュニティを構成できるメディアだ。そしてパーソナリティや番組編成という要素でコミュニティを交通整理したり、新陳代謝を促したり、「次のコミュニティ」に誘導したりできる。この機能こそが、TwitterやmetaのようにならないSNSのヒントになるのではないか。規模が全然違うけれど、GAFAのような巨大な企業なら、そういう人海戦術対応も体力的に可能なのではないかと思う。

ラジオは古いメディアだからこそ、その経験値は豊富だ。いまテレビメディアなどが斜陽化しまいと必死に取り組んでいるが、その多くの施策は既にラジオで実践されていたりする。
「枯れた技術の水平思考」は任天堂の考えだったと思うけど、そんな枯れた技術を豊富に持っているラジオの知見を活かすことで、次のステージに進めるものはたくさんあると思う。だからラジオ人やラジオと向き合ってみると、意外と得るものはあるんじゃなかろうか。まあポジショントークですけどね(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?