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6章 失せ物捜しの日々⑴ 


介護施設モクレン館では、出逢いと別れが繰り返される。
5階の入居者、磯口すすむと鴎イチロウとがモクレン館から去って行った。
1人は天国へ、もう1人は、別の施設へと移った。
短い付き合いであったが、スイデン夫妻にとって忘れることの出来ない2人である。
もう、会えない。


ある日、イチョウは事務所から書類に押印を求められ
久々に、印鑑が必要になった。
(あれ? どこに仕舞ったかな)
イチョウは、印鑑3本を小袋に入れて、大切にどこかに仕舞った記憶がある。
(鍵付きの小引き出し? キンコ? 旅行鞄? )
イチョウはあれこれと探し回ることになった。


まだ自宅にいた頃の話


イチョウは、70歳半ば頃から、自宅2階へ行くのが面倒になっていた。まだ電動自転車を使って近所を走り回っていた頃だが、2階への階段昇降がいささか億劫になって来ていた。
イチョウの寝室は2階で、その隣の部屋に大事な物を入れた書棚がある。
スイデンが、イチョウのために階段の両サイドに手すりを付けてくれた。
それを掴んで上っても、
「しんどいなあ」と、思うようになっていた。
さらに、夜間、トイレに起きることが頻回になり、寝ぼけまなこで1階へ下りる。
両手で手すりを掴み、半分座ったような格好で階段を下りる。
(大丈夫かな)と、次第に我が身を心配するようになっていた。

そんなある時期のある日、イチョウは、自宅2階に用事があり、ドッコイショ、ドッコイショと階段を上った。
残り1段となった時、イチョウは、ふと、
(ン?   何の用事だったかしら)と、思った。
そのまま止まって、あれこれ考えたが、何用で上がって来たのか、思い出せない。
仕方なしに、階段を下りた。
ストンと1階の床に足を下ろした途端に用事を思い出した。
2階の書棚に仕舞っているヤッホー銀行の通帳に用事があったのだ。また、エッチラ、オッチラと階段を上がった。
苦労して上がって来たが、いつもの引き出しに通帳が見当たらない。
あわてて、何度も調べた。
(ない。ひょっとして、1階に移したのかもしれない)
そうと思い、1階に下りて、居間の茶箪笥ちゃだんすの引き出しを調べた。
丁寧に何度も調べた。
(ない)
また、2階へ上がって調べた。
(ない)


1週間前に、イチョウは、ヤッホー銀行の通帳を使っていた。外出から帰って台所のテーブルの上に、通帳をしばらく置いていた。
それを思い出したイチョウはスイデンを疑った。
(スイデンも、同じヤッホー銀行の通帳を持っている。ひょっとして、自分の通帳と勘違いして仕舞い込んだのではないか)
七度ななたび探して人を疑え という言葉がある。
イチョウは、その言葉を2回、念仏のように唱えた。
そしてスイデンに訊いた。
「間違えて、私の通帳を仕舞い込んでない?」
すぐ、スイデンは、ベッド脇にある重要物入れの鞄を調べた。
「あんたの通帳はないよ」


それからすぐ、イチョウは、ヤッホー銀行に出向き、通帳の再発行を依頼した。しかし即時、再発行とはいかず、新通帳は書留で届くと言う。
その上、手数料までもかかった。
余計な物入りとなった。
2週間後、新しい通帳が自宅に届いた。
それを持って、イチョウは、エッチラ、オッチラ2階に上がり、重要書類入れの引き出しを開けた。
「あれまあ!」
散々、探した通帳がそこに、いつもの所に鎮座ましましているではありませんか。
(あんなに何回も探したのに、私はどこを見ていたのかしら)
イチョウは、いぶかしく思った。
(誰か悪戯をしたのではないかしら?)

そこですぐに、イチョウは、ヤッター銀行に出向き、
「ありました」と、前の通帳を見せた。
窓口の人は、
「それはもう使えません。処分してください」
バッサリ。

イチョウは、自分を罵った。
(何をウロウロ! あほくさ! スットコドッコイ)
この経験から、イチョウは、失せ物があっても、せっかちに捜し続けないで、しばらく時間を置く という教訓を得た。
失せ物は、大事な物ほど、とんでもない所から出てくる。
丁寧に、見つかりにくい所に、しかも、さりげなく仕舞い込んでいる。


次章、話はモクレン館に戻ります……

→(小説)笈の花かご #21
6章 イチョウの物探し⑵ へ続く




(小説)笈の花かご #20 6章 失せ物捜しの日々⑴
をお読みいただきましてありがとうございました
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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