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ロマン主義を考える(1) ロマン主義というのはいかなる文学か? 【『ゲーム制作のための文学』】

現在、2022年5月29日の文学フリマ東京に向けて、同人誌『ゲーム制作のための文学』を制作しています。これはゲーム制作者に向けて、ゲーム制作に役立つのではないかと思われる文学の知識をまとめたものです。

方針としては、できるだけ新しい文学論を取り入れて、同時に可能な限り特殊ではない普通の文学を紹介することにしました。

文学の世界は科学の世界と同様に、多くの人が特殊は発言をします。なぜならば特殊な発言をしない人は、文学に貢献していないと判断されて、仕事を失うからです。

他者の論文を受け入れるだけの科学者が科学者ではないように、他者の文学論を受け入れる人は文学者ではありません。

しかし、『ゲーム制作のための文学』は、研究者ではなくて一般の人に向けた同人誌なので、一般の人、すなわち文学を仕事にするわけではない人たちに役立つ知識に集中しました。

『ゲーム制作のための文学』は、題名の通り、RPGなどのゲーム制作に興味がある人に向けた同人誌です。


5月29日に発行する『ゲーム制作のための文学』は、神話の時代から始まり小説の誕生で終わります。

これは「小説の誕生」こそが文学の最大の出来事であり、文学を学ぶ人が文学とは宗教的人間から経済的人間への発展、という大きな流れで考えることが有益だと信じるからです。

しかし、面白いのは小説が誕生してから、すなわち一八世紀以降の文学であるのは間違いないでしょう。

文学に興味がある人は、文学といえば、保守VSリベラル、ロマン主義VSリアリズムなのではないかと思います。

というわけで、『ゲーム制作のための文学』の活動の一環として、今日からロマン主義について書いていくことにします。



さて、多くの知識が偏った熱狂的な美術愛好者達が、あらゆる美術は印象派から始まると断言するように、それ以上に知識が偏った熱狂的な文学愛好者達はあらゆる文学はロマン主義から始まると断言するでしょう。

ところで、ロマン主義とは何なのでしょうか?

広辞苑による定義ですと、19世紀初期から開始された堕落したブルジョアと戦う政治的な文学、芸術の潮流であるようです。また、Wikipadiaでは多くの場合は教条主義や理性至上主義などの古典主義への反発から生まれた文学となっています。

さらに、普通、文学においてロマン主義という言葉が使われるときは、リアリズムの敵として扱われるようです。

現実を重視するのがリアリズム、妄想を重視するのがロマン主義。

理想を追求するのがロマン主義、現実を受け入れるのがリアリズム。

おそらく、この枠組みが広く知られているロマン主義の意味でしょう。現実ではあり得ないような恋愛を妄想して、その世界がどっぷりと浸っている人はロマン主義者として馬鹿にされます。

そして、ロマン主義を馬鹿にするリアリスト達は、恋愛や結婚なんて人生の無駄さと自己啓発に夢中になるのです。投資、素晴らしい!


さて、マルクス主義といえば暴力革命であり、暴力革命の土台となる思想がリアリズムです。さらに言えば堕落した金持ちをぶち殺せという暴力思想が辞書で使われている意味でのロマン主義なので、文学と辞書と日常語ではロマン主義の意味が大きくかけ離れているように思えます。

しかしながら、このように文学と辞書と日常語で意味が大きくかけ離れているように見えるのは、素朴な人たちが素朴に信じるような、辞書制作者や一般大衆が無知蒙昧で、ロマン主義の意味もリアリズムの意味も何一つ理解できていないからであるという理由ではないと判断しています。

私たちは言葉を考えるときには、意味や定義を、あるいはそれが実際にどのように使用されているのかばかりに目が行きますが、ここは『ゲーム制作のための文学』でしてきたように、言葉とその言葉を取り巻いてきた歴史を見ることにしましょう。

言葉はそれがそれがどのような意味なのかではなくて、それがどのように役に立つのかが重要だからです。


さて、文学の世界でロマン主義が使われる場合は、たいていは十八世紀末から十九世紀初頭、もっと大胆に限定するならば1789年から1832年のロマン派の運動に起源を持たせることができます。

なぜ、1789年から1832年なのかというと、数字を見れば明らかですがフランス革命とアメリカ独立です。基本的に、ロマン主義とはアメリカ独立とフランス革命からナポレオン戦争終結までに行われた、一連の文学運動に結びつけて考えられます。

ロマン派詩人として有名なのは、ワーズワースやコールリッジのような文学者というよりは革命家な人たちです。

ロマン派詩人の時代は1789年のフランス革命から始まり、1832年のイギリスの第一次選挙法改正にて終わります。

フランス革命から始まった一連の革命は、保守陣営であるイギリスとロシアにより鎮圧されるのです。

1789年から始まったフランス革命は混乱して、アメリカは戦争が続くヨーロッパから離れ、今のNATO勢力とほとんど同じ似た世界を支配していたナポレオンがナポレオン戦争で敗北しました。そして、ヨーロッパで二度と自由主義とロマン主義が復活しないように、ロシア帝国が憲兵として監視する保守世界になるのです。

自由主義は悪、保守は善とするウィーン体制の誕生です。

「保守」、と聞けば政治に詳しい人であるならば、保守主義の聖典、反革命の複音書であるエドマンド・バークの『フランス革命の省察』を思い浮かべるでしょう。

1790年に書かれたこの書物により、エドマンド・バークは知識人が自分の理想を押しつけて戦争を起こして社会を荒廃させるようなことはあってはならないと主張しました。

イギリスのエドマンド・バークは、フランス詩人のロマン主義者が、自分達のハッピーな世界観で戦争を起こして大衆の生活を滅茶苦茶にしていると攻撃したのです。理想を実現するために戦争を利用するのは、正しい態度ではないと彼は考えました。

そして、まさにエドマンド・バークの保守主義に共感してナポレオンと戦ったのがロシア帝国です。

保守と自由主義の戦いは、ロシア文学であるドストエフスキーとトルストイの中心的な問題意識です。

ドストエフスキーの『罪と罰』では、ナポレオン・ロマン主義に共感した主人公が知識人である自分はいかなる犯罪も許される、正義のためなら何をしても許されると殺人を起こして捕まります。

トルストイの『戦争と平和』では、ロマン主義を信じてキリスト教を破壊してきたナポレオンから人類を守らなくてはならないと、保守であるロシア帝国の民衆がナポレオンと戦います。

大衆はいくら死んでもかまわない。なぜなら、自由主義イデオロギーは大衆の生活や命よりも重いからだ。それがロマン主義です。

宗教は絶対的に悪、イデオロギーは絶対的な善。ロマン主義のナポレオンは控えめに表現しても独善的です。

ドストエフスキーとトルストイは、小説を読む限りロマン主義は悪い思想だと考えていたように思えます。彼等はロマン主義を否定して、キリスト教の信仰に戻ることを重視したのです。

ロシアは自由主義イデオロギーではなくて、素朴なキリスト教の愛の世界を選んだように思えます。


以上の歴史を考えると、文学におけるロマン主義と、辞書におけるロマン主義と、日常的に使われるロマン主義の三つに大きな隔たりはないように思えます。そして、普通の人たちが日常的に使っているようなロマン主義の意味はきわめて正確です。

基本的には、自分のバラ色の妄想を他人に押しつける悪い子、困った人たちロマン主義者です。

これで歴史が終わったのであれば、ロマン主義の定義は複雑になったりはしなかったでしょう。

ただの困った人たちです。

しかし、歴史は続きます。私たちは19世紀の歴史を知っています。

保守の守り手、ヨーロッパの憲兵だったロシア帝国は、1853年に始まったクリミア戦争で衝撃の事実に直面します。ロシア帝国はイギリス(ロシアから見ればなぜか裏切った)、フランス・ヨーロッパ(ロシアから見ればなぜか裏切った)、トルコと戦争して敗北するのです。

保守ロシアが味方だと思っていた国々は、実は隠れリベラルでした。

こうして、自由主義の敵であったロシアは権威を喪失して、ウィーン体制は崩壊してロマン主義と自由主義が復活します。

保守の時代の終焉です。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。

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