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第三十四回文学フリマ東京(令和4年5月29日開催)の報告

昨日、文学フリマ東京が開催されて無事終了しました。今年は新型コロナにより規模を縮小していた前回までとは異なり、多くの参加者と訪問者が集まったようです。

今回の文学フリマ東京では、新日本文学出版として『ゲーム制作のための文学』を出品しました。

『ゲーム制作のための文学』はTRPGなどのゲーム制作に役立つ文学の知識をまとめた同人誌です。文学史の教科書のように書いてあり、物語から小説が生まれた背景について書いています。


さて、文学フリマ東京ですが、開始後、二時間以上も入場の列が続いており前回よりも比較にならないほど人が集まったようでした。二年前から新型コロナウイルスにより文学フリマ東京は規模を縮小していましたが、今回は前コロナ時代に匹敵するほど盛りあがっていました。

『ゲーム制作のための文学』も一冊を残してすべて売れてしまい、購買意欲も十分だったようです。

ウクライナの人も何人か遊びに来ており、そのためいつもより外国人が目立ったように感じました。


すでに何度も文学フリマに参加しているため、逆に慣れてしまって傾向が分からなくなっているので、最近の文学フリマはこのようですという報告はできそうにありません。

しかし、純文学からSFファンタジー、政治的な作品から社会問題を扱うような同人誌まで広く揃っているのは相変わらずでした。


『ゲーム制作のための文学』は、マーダーミステリーなどに馴染んでいる二十代前半の人が興味を抱いて買ってくれたような感じです。

今回はプロダクトとマーケットに強いマッチングがあったようで、購入してくれた人のほぼ全員がZ世代男性で、逆にいつもは購入してくれる四十代以上の購入者は一人しかいませんでした。

また、購入してくれる人は中身を確認せずに題名だけで買ってくれて、逆に文学フリマの訪問者の数に比べて、いつもよりブースに来てくれる人の数は少なかったように思えます。

感覚としては、「ゲーム」と「文学」の分野が大きくかけ離れており排他的に思われているため、ゲームが好きな人は文学を避け、文学が好きな人がゲームを避けたように感じました。一目見て、興味ないという感じで素通りする人が多かったように思えます。


しかし、クリエイターやライターに興味がある若い人は、特に『ゲーム制作のための文学』という題名に違和感を抱くことなく、見ていただけたのではないかと思います。

個人的な体験ですが、ミレニアム世代や、それ以上の世代は、文学は受験で学ぶもの、エンターテイメントは個人でひっそりと消費するものという印象が強いような印象を受けます。

ゲームや漫画などのエンターテイメントに文学を持ち込むなというお叱りを受けたことは多いですし、逆に一部の人はアメリカの銃撃事件はすべてゲームに洗脳されたオタク達が原因で、つまりゲームや漫画は反社会勢力の育成装置だと素朴に信じているようです。

以上の発想が起きた背景は理解できます。

実際、十年前くらいのエンターテイメントは学校教育で学ぶことを排除することで成功していました。


とはいえ、最近のゲームやアニメや漫画の驚異的な質の向上を見る限り、文学や美術や音楽(クラシック、ピアノやオペラ)の知識が、これからエンターテイメント業界、あるいは文化産業全般に必要になってくると私は確信しています。

実際、もはや日本のゲームやアニメは芸術の域に達しており、今後はオタク文化ではなくメインカルチャーを担う予感すらします。

文学と美術と音楽を排除したところにエンターテイメントという分野があるという時代が終わるかもしれないというのが、今の私の見解です。

文学に抵抗するためのエンターテイメントではなく、エンターテイメントを楽しむための文学という考え方が必要な時代。もはや、文学に反対するだけが目的だったエンタメの時代は完全に終わる予感がします。



今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。

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