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やらないのか?できないのか?(ケーキの切れない非行少年たち)

教育の仕事をしていて、いつも悩むことがある。
アイツは「やらない人間なのか?」「できない人間なのか?」

仕事でやるべきことの本質は至ってシンプル。

「業績を上げること」

これ以上でも以下でもない。業績を上げる戦略・戦術の柱として企業理念があるだけ。

昔、上司に言われた。「俺は、お前に『頑張れ』とは言っていない。『業績を上げろ』と言っている。悪いが、業績が上げれるなら、頑張らなくてもいい」と…ボコボコにされて追い込まれて「頑張ってやっているのですが」と言った僕に対して正直、残酷な言い草だが、ぐうの音も出ない。

残念ながら、僕はできない人間だった

時代が変わり、劣悪な職場環境は整備され『追い込む』というマネジメントはめっきり見なくなった。その変わりに新しくやってきた時代は『ゆるい』職場環境だった。

コンプライアンスにがんじからめにされた『今、上司となった人たち』が、部下に突き上げられる時代が来るとは、過去に我慢しながら耐え続けて生き残って地位を手にした人たちにとって、あまりにも酷い仕打ちだ。

別に…昔、上司にされたことを部下にやるつもりなど無かったろうに…

そんな彼らを救うのが僕の仕事

僕が地獄の日々を生き抜いた百戦錬磨の過去の経験と、教育・育成に特化して今、学び続けている知識を彼らに渡しながら育成支援する。

「一体どうしたらアイツらはやってくれるのでしょうか?なぜ、アイツらはやらないのでしょうか?」

このセリフを聞いたときに僕は1冊の本のタイトルを思い出した。中身は読んだことがない。ただ、友人が「勉強になった」と言っていたこと。そして一時期、何度も本屋で売れ筋の本として見かけていたこと。

まずは友人から紹介したい。

彼女は精神科の施設で働きながら『朗読ボランティア』などで福祉活動を活発に行っている心優しい女性。そして、お笑い好きで大喜利をこよなく愛する(笑)。子供達を救いたい!チカラになりたい!という想いで行動している。利己主義が抜け切れない僕は彼女の爪の垢を飲むべきだろう。

さて、彼女が昔に教えてくれた本。それが

ケーキの切れない非行少年たち」だった。
当時、僕は完全にこの本のことを誤解していた。勝手に異常犯罪のドキュメンタリー作品だと勘違いしていた。

彼女がその時に「上司から勧められた」という言葉で誤解は解けた。だけど、その言葉からかなりの時間が過ぎて、僕はこの本を手にしている。

冒頭の文脈からしてお気づきかも知れませんが、極めてギリギリの発言をしようとしているのは自覚しています。心優しい彼女を紹介しながら、これから先の文章を書くのは胸が痛いけど、偽りなく本心で書こうと思う。

そう…

誤解を恐れずに書きます。僕は仕事をしない人を疑っている自分がいる。『人のことを考えず、自分のことだけしか考えないヒト』は心の病ではないか?

実際、昔は無かった病名が次々と生まれている。
現代病として新たに産まれたのか?
今まで認識されていなかったのか?
学んでいない僕には分からないが、そんな仮説を立てるには充分なほどに現場は悩んでいる。

一生懸命に成長を願い、現場や会社と戦いながら指導に励む人たちの叫び。
「やらないのか?」
「できないのか?」

これから読んで少しでもヒントになれば…
そんな思いで本を買った。


やらないのか?できないのか?
学びのアウトプットLIVE-GYM #3.
「ケーキの切れない非行少年たち」

この本のタイトルと表紙。何かの謎解きか?と思ってしまうインパクト。だけど著者自身が見た現実がそのままタイトルになっている。

著者は元々、精神病院で働いていた精神科医。いろいろな経緯があって大学で主に臨床心理の講義を担当している方らしい。そんな著者が『まえがき』で書いてある胸がすくむ言葉。

『教育の敗北』

教育を専門に働いている僕にとって、こんなにも破壊力のある言葉があるだろうか?
「負けるハズがない!学びこそ人生だ」と言いたいところだが、僕自身、何度も負けてきた。それが実態。

この言葉が書かれた経緯はこうだ。
著者は児童精神科で勤務していた。そこでたくさんの治療経験を積むなかで、今、現場で行われている治療プログラムでは救えない少年たちがいることに気付く。

では、その治療プログラムを少し説明します。

【認知行動療法】
思考の歪みを修正することで適切な行為、思考、感情を増やし、不適切な行為、思考、感情を減らすことや対人関係スキルの改善などを図る治療法
「ケーキの切れない非行少年たち」より引用

簡単に説明するなら…

「挨拶をしたら、挨拶が返ってこなかった」
        ↓
【修正前】
「嫌われている、無視をされたと思い込む」
だから腹が立って暴れてしまう。殴ってしまう。
※ここを修正していく
        ↓
【修正後】
「もしかしたら、聞こえてないだけかも?」
「何かに集中していて聞いてないだけかも?」

これを繰り返し行うことで、行為、思考、感情を修正していくのが認知行動療法。

そんなある日、何度治療を行なっても『痴漢行為』が治らない少年がいたそうです。治療中は「分かりました」「もうしません」と言えるようになり帰っていくのですが、また問題を起こして病院に戻ってくる。「なぜだ?」と悩んだそうです。この問題は実はシンプルで、その治療法は「認知能力があることを前提とした」治療法であるということ。もし、この認知能力がなければこの治療法は意味を持たない。すなわち病院では治すことができないということ。

病院ではやれることが限られている。犯罪をしてしまう少年たちを救いたい。そう思って辿り着いたのが医療少年院。発達障害や認知障害を持ち非行に走る少年が集まる施設。

そもそも家庭教育や学校教育の現場で手に負えずに『最後の砦』として行く場所だったハズの病院。その病院で治療の甲斐なく非行行為を起こしてしまった少年が最後に送り込まれるのが少年院。そう…ここでは「『教育の敗北』であり『最悪の結末とも考えられる施設』であると言える」と書かれている。

僕も管理職時代に従業員の教育を諦めたことが何度かある。「この従業員はここでは無理だ」と判断し「君、むいてないよ。この仕事」と言ったこともある。正直なところ「どこまで見てあげないといけないのだろう?」と思ってしまう。「ここは学校じゃない」が僕自身を納得させる言葉。そうなると、実際に学校や病院の先生はどうなんだろう?と考えることがある。彼らは『救う』ことが仕事ではあるが、彼らもビジネスであることには違いない。1人にずっとかまい続ける訳にはいかない。

だが、この著者は仕事を辞めて医療少年院へと進んだ。ここで大きく世界が変わることになる。

この本は、本当に衝撃的だった。僕はこの本の『目次』を見ただけで凍りついた。

【目次】
1章「反省以前」の子どもたち
2章「僕は優しい人間です」と答える殺人少年
3章 非行少年に共通する特徴
4章 気付かれない子どもたち
5章 忘れられた人々
6章 褒めるだけでは問題は解決しない
7章 ではどうすれば?1日5分で日本を変える
「ケーキの切れない非行少年たち」より引用

いかがでしょうか?さらに細かい詳細を見るともっと恐ろしい言葉が出てくる。僕は『教育を目的に買った』というこのタイミングでなければ、きっと「怖いもの見たさ」だけで買って、積読していただろう。

でも本質は、そういうことなんだと思う。大人たちが目を伏せて、ほったらかしにした結果なのだと思う。この本でも語られていた。「病院にくる子は、とても幸運なのだと。保護者が問題意識を持っていたからこそ処置が受けれるのだから」と。その叫びが4章と5章の『気付かれない』と『忘れられた』という言葉で表現させているということ。

1章に書いてある『反省以前』。この言葉の意味はデカい。僕もよく感じる「そもそも前提が間違っている」というシチュエーション。『業績を上げる組織』なのに『働きやすさ"のみ"』にフォーカスをあてて意見を言う人。『夢や目標を実現させるチーム』なのに『平等"のみ"』『楽しさ"のみ"』の改善を訴える人。全く意見が噛み合わない。

この施設でも前提が『認知能力がある』とした場合、やった行為に対しての反省を求めても、反省した言葉を暗記することはできても、何を反省すべきか理解をしていないと本質は何も解決していない言うこと。この本のタイトルが物語っていることこそがその本質。本の中身の写真を貼る訳にはいかないので改めてURLを貼ります。


ケーキを切った絵が見えますか?『3等分に切って』とお願いした絵です。少年らには世界が歪んで見えているという現実を我々は理解をしないといけません。

『人を殺すことがダメ』が理解できていない。という前提をあなたは理解できますか?

きっとできていないと思います。そして大事なことは、みんなが少年を理解できないから孤立するということ。理解できない少数派は、集団のなかで『嫌われ』『いじめられ』『無視される』ということ。社会から孤立した人は、さらにストレスを抱え非行に走る。

そして残念なことに、この非行行為が肯定され評価される場所が存在する。

そうなんです。今まで散々、否定され続け、嫌われ、いじめられ、無視されていたのに、悪いグループに入ると、たちまち評価されるんです。

『ずけー!』『コイツぶっ飛んでる!』『アイツはヤベー』『アイツは怖いもの知らず!』

皮肉なことです。私たちがやっている『褒める』マネジメントが、その集団では行われていた。
少年らが孤独から解放される瞬間。元々『悪いことをしている』という認識を持っていない少年たちが、否定される世界から、褒められる世界に行けた喜び。

著者は少年院で何度も診断を行なってきた。
『あなたはお金が必要です。どうしたら良いですか?』という質問に対して、少年らは当たり前のように「盗む」と「働く」が同列に並ぶことを知ります。そう…当たり前に。

少年らは認めて貰えることに喜びを感じている。
『人として間違っていること』をすることでの快楽を得てるのではない。『自分の普通』が褒められる。それは自分が相容れない世界からの解放。

少年らにとって世の中が複雑過ぎる。だからまだ『殺人がダメ』はある程度理解できるようです。なぜなら世間で『ダメだ』が明確だからです。だから再犯率がある程度落ちる。

だが、少年らにとって難問なのは『性犯罪』

性行為自体は法律で禁止されていない。この性行為の判断は健常者にとっても難しい。なぜなら『同意のうえなら良い』という条件が付くこと。どの条件が揃えばOKなのか?あなたは理解してますか?

そうなんです。なおさら少年らが簡単に理解できるハズがない。診断の際に『なぜやったのか?』に対して『動画で見たとき、最初は嫌がっていたけど、途中から嬉しそうだったから』とハッキリと答えるそうです。『喜んで貰える』『相手は、実はして欲しい』と同意が得ていると思って犯罪に及んでいるということ。

みなさんも、この文章を読んで『恐ろしい』のひと言だと思います。

だけど、忘れてはならない。
気付かれずに放っておかれて、孤独になり非行に走っている現実を。性犯罪を起こす少年は少なくともコミュニケーションが低く、人には近づかない。孤独の果てに近づける幼児から手を染める。そう…どこかで『救えたハズ』だということ。これは被害者も同様で少年が非行に走らなければ被害も生まれなかった。

僕たちにできることはなんだろう?

この本での気付きは、少年たちは反省以前の問題であり『やらない』ではなく『できない』ということ。罪を償うことがそもそも出来ないということ。もちろんこの話は『刑事責任能力による無罪』の主張をしたい訳ではない。『罪を償う』は罪の重さを認識できるという前提を認知させることが重要であり、本人が前提を知るには後からでは遅く、前提を先に知っておく必要がある。起きた後ではなく、起きるより先に!本人が!!

そして、彼らは気付いて欲しいのだ。『できない』ことを。今の教育として『出来ることを褒める』という方針が強くなっている。そりゃそうだ。短所を伸ばすマネジメントなど、ビジネスの世界ではとっくの昔に終わっている。

しかし、ここが大問題!教育とビジネスの違いに気付いておらず教育の現場で『馬鹿の一つ覚え』でやっているということ。一般企業なら大目玉をくらってる。なぜなら、ビジネスの世界は市場分析をしてから自社の長所と短所を把握したうえで、長所を伸ばすことが常識。しかし、教育の現場ではとにかく長所だけを見ようとする。しかも『周りと比べない』という文化がゆとり教育時代からよく聞くようになった。だから本人は気付かない!むしろ隠されている。

著者が語る現状。それは、専門家たちが『非行少年たちは認知能力が低い』また『非行少年たちは自己肯定感が低い』と口を揃えて言うらしい。著者いわく…

『分かってるわ!!素人でも分かるわ!』

当たり前だろ!少年たちは孤独だった。認知能力も自己肯定感も自尊心も低くなるだろう。問題は『本人の認識』と『周りの認識』のギャップだろ!?

本人が自覚できていないことが問題なのだと!
周りが気付いてケアをしていないことが問題なのだと!

さて、まずはここで、この本での語られる希望を先に伝えておきます。それは最後の章のタイトル。『1日5分で日本を変えれる』。何と痺れるタイトルだ。著者は認知機能に着目した新しい治療教育をはじめている。その内容は、ぜひ本書で読んで欲しい。1日5分、朝の会でできる教育。少しでも著者の活動が実り、少年たちを救える日本になって欲しいと祈ります。

そして、僕の課題。
この本で学んだことを僕は生かせるのか?

それは『認知させる』こと。

こんな経験をたくさんしてきた。
「できてないよ」
「やってますけど!」
みなさんでもよくある経験談ではないでしょうか?僕はこれを具体的行動の可視化でクリアしてきたつもりだった。例で言うなら

×「笑顔でやってね」
○「口角を上げ目尻を下げてね」

×「ちゃんと聞いてね」
○「目線を外したら聞いてないと認識するね」

これ以外でも動作、時間、量と可視化し『曖昧を徹底的に排除』する指導方法。でもこれは確かに『認知能力があるという前提』で成り立っていたということ。そもそも「できていない」のに「できている」と思い込んでいることが問題であり、「コミュニケーションが苦手なのに」のに「サービス業を選んできている」という現実を受け入れなければないないと思った。

・自分と周りの認知のギャップに気付かせる
・得意なことを生かした方が仕事は楽しい

この2点を盛り込んだ教育プログラムを作ろうと思いました。

『社会に認めて貰えない』のは本人にとって最大の不幸であると!

僕は今、会社で業務分業制を訴えている。得意を生かしたうえでの人員配置。市場分析、接客、リーダーシップ、技術力、管理能力、それぞれ得意があって、個をもっと生かせる体制を作ればいいのにと思う一方で、会社は業務の平準化を目指す。その理由は人件費削減。人員を削減し、業務統合を無理矢理に進めたあげく「人手が足りない。どうしたら人が採用できるのか?」と嘆いている。無理ゲーではないだろうか?

少子高齢化に人口減少。現状のインフレからの日銀方向転換により金利上昇と政府の増税路線となりスタグフレーションは必須で給料の企業格差は開くばかり。中小企業の労働者が増える見込みなど絶対にない。そして、コロナ禍の出口によるインバウンドでサービス業は致命的な人手不足は必須。そうなると、行き着く先は無人化と自動化しかない。そんな中で『平準化され、特化されたモノを持っていない従業員』などいるのだろうか?

多くの人に、今を受け入れ自分自身をフィードバックできる能力を持って欲しい。

忘れられた人と気付かれない人を増やさないためにも。


今回はもしかすると、聞き苦しいところがあったかも知れません。もしかすると差別的な表現に感じたところがあったかも知れません。

でも僕は言い訳などしません。1人ひとりが互いを受容し向き合い、自らも自身と向き合う必要があるのだと訴えたい。YouTubeで安藤優子さんが言っていた。『できないは長所である』と。

平等の世界など存在してはならない。不公平に助ける側と助けられる側が共存して、感謝し合う。
そんな世界であるべきだと僕は思う。

救いたいという人を応援したい。
僕は確かに『できない』人間かも知れない。
でも、応援したい仲間がいる。

最後にそんな素敵な仲間がいるコミュニティを紹介させてください。

読書感想文アウトプットLIVE-GYM
次回もお楽しみに!

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