見出し画像

「とほ宿」への長い道 その19:宿の物件探し

「貸してほしい」という返事を3か月待つ

2022年3月末。
その18」で書いた、ゲストハウスの開業を断念したという人に今後開業の予定は無いかあらためて聞いてみたが100%無いという。自分が物件を借り、管理人となりゲストハウスを立ち上げたい旨伝えたのだが、そう言われてもすぐには判断できないので検討しますということになった。
それからは何も準備が出来ず、宿の開業を決意したというのにただ待つだけの日々だった。ある意味この期間が一番辛かった。ごくごく親しい人には、宿の開業を考えているということを伝えた。激励してくれる人もいれば、無理だからやめた方がいいという人もいた。
コロナの初年に「ゲストハウス無我」の宿主・村田さんと、北海道・追分のとほ宿「旅の轍」宿主・のみぞう氏とオンライン飲み会をしたことは「その18」で書いたが、のみぞう氏は関西の出身で、毎年4月に帰省して「旅の轍関西大会」をしている。途中福井に立ち寄るというので、4月下旬に福井駅構内の喫茶店で会った。

のみぞう氏。「旅の轍」にて


そこで自分も宿の開業を考えているということを打ち明けた。のみぞう氏は自分が宿を開業したときのことを語ってくれた。鉄道の分岐点である追分という土地に惚れ込み、何年もかけて物件を見つけ改修したとのことだった。やはり宿の開業というのは容易ならざることだと思ったが、しかし自分の考えている運営形態で問題はないと励ましてくれた。
ゲストハウスの管理人になるという件はなかなか返事が来ない。そうこうしているうちに季節は移ろいゴールデンウィークになった。例によって県外にキャンプに出かけたが、数日内で行けるキャンプ場はだいたい行き尽くし使い勝手はよく知っているがだんだん新鮮味がなくなってきた。今まで散々日本全国遊び歩いてきたが、やはりそろそろ次のステージに移るべき時期なのだろうと感じた。

あわら市の苅安山キャンプ場より

その後も何度か状況を聞くも進捗はしない。その間、どのような宿にするのかを自分なりに考えた。

宿のコンセプトを考える


自分が昔通い詰めた北海道の「とほ宿」、本州や沖縄の個性的な宿主たちが営むゲストハウス、Booking.com などの宿泊予約サイトで集客する外国人観光客向けのゲストハウス、ゲストハウスといっても形態はいろいろある。
自分はゲストハウスで働いたこともないし、福井県大野市という土地でどのようなゲストハウスのニーズがあるのかよくわからない。2022年春の時点で新型コロナが終息するかどうかはまだ見通しが立っていなかったし、だいいち自分自身が金融機関から融資を受けられるような力が無かった。
カッチリと宿のあり方を固めて準備万端にしてから開業するのではなく、とにかくスモールスタートで早く開業して、最初のうちは自前のホームページのみでの告知のみでの集客として、1日1人とか2人といった規模から始めて、どのような形態が最適なのかを模索しながら運営していこう、と考えた。
基本的なコンセプトは「布団付き宴会場」。福井は車社会で公共交通機関のネットワークが都会に比べて弱く、終バスが19時台という地域がかなり多い。福井の繁華街である片町などで飲んで帰りは代行運転を使い、飲み代より代行料金のほうが高くなってしまうという話は多い。「その17」で書いたような料理会やワイン会の会場として使ってもらい、地元の人間だけでなく県外からの旅行者とも交流できる場となれば、と考えた。
宿泊施設の形態としては旅館・ホテルが一般的だが、山小屋やネットカフェ、カプセルホテルのような「簡易宿所」というのもある。いわゆるゲストハウスの多くは後者だ。それとは別に、2018年に施行された「住宅宿泊事業法」、いわゆる「民泊新法」により規定される「民泊」がある。
「民泊」は許可制ではなく届出制で、設備面での規制が簡易宿所と比べても緩い。初期投資を抑えて開業できる。その代わり、年間180日(泊)以内しか営業できない。しかし、平日に来るお客さんというのはビジネス客であったり修学旅行であったり外国人観光客といった、一般の旅行客とは違う人たちだ。それに特化した販路やノウハウが必要となる。個人でできる話ではない。20代30代の頃「とほ宿」を泊まり歩き、夏のハイシーズン以外は基本的に平日にはお客さんが来ない(平日はアルバイトしている宿主が多い)ということも知っていた。年間180日営業で十分、当初は民泊としてスタートしようと思った。平日は本業の仕事をして、週末は宿主になるという算段だ。漠然とイメージしていたのは「とほ宿」だった。民泊だと加入はムリだろうと考えていたが、将来規模を拡張して簡易宿所になったらいつかは「とほ宿」になりたいとも思っていた。
管理人の打診の返事を待っている間、そのようなことばかり考えた。

筆者作成

断りの返事

6月5日、やっと先方から連絡があった。今後宿を開業する見込みは無いが、思い入れのある家なので、やはり他人には委ねたくないということだった。
それならそうと早く返事してほしかったのだが・・今にして思えばこれが普通の反応なのだろうと思う。
ゲストハウスにするはずだった家をそのまま空き家にしていてもプラスになることはない。庭の手入れをしなければいけないし、固定資産税や電気料金などは発生するし、そこに人が定住していなければ老朽化はどんどん進行する。しかし、自分の思い入れが詰まった場所を他人の手に、知り合いならいざ知らず見ず知らずの人間に委ねるのは心情的に納得できない。そう思うのは身勝手なことなのだろうか?
芸能人の梅宮アンナさんが、父親・梅宮辰夫さんの思い出が詰まった神奈川県真鶴の家を手放す時も、手放して維持管理の手間と費用から解放されればいいというものではないという心情を語っている。これが普通の人の考え方だと思う。

「空き家対策」というと、空き家にしておくことのデメリットを並べ、早く処分するべきという論調の話が非常に多い。自分も以前少し寄稿した。具体的な話は以下を参照されたい。

しかし、そこに住んでいた人の思い出・思い入れを無視して空き家問題の解決を迫るというのはどうなのだろうかと思う。売買や賃貸の価格といった条件も大事なのだろうが、やはり大切に扱ってくれる人に委ねたいというのが人情だろう。因みにそのコンセプトで空き家を仲介するサイトもある。

冒頭で話に出た「旅の轍」の宿主・のみぞう氏も、自分が惚れ込んだ北海道・追分という土地に惚れ込んで、足繫く通って宿の物件を見つけたとのこと。空き家を探しているという人は結構いる。空き家主がこの人になら住んでほしい・使ってほしいと思えるような機会を作ることが大事だし、地方の場合だと「旅宿」というのは空き家主と住み手を繋げる場だと思う。旅宿の常連から移住者になったという人は少なくない。

新たな物件探し

2か月以上待って断られたわけだが、自分の中では宿をやろうという気持ちはほぼ固まっていた。次はどうやって物件を探そうと思っていたのだが・・
6月9日、とあるセミナー開催の打ち合わせのためにファイナンシャル・プランナー仲間と話をする機会があった。


雑談中に、宿開業を考えているという話と、その物件の持ち主から断られたという話をしたのだが、そのファイナンシャル・プランナーが大野の人で、
「小林さん、大野に空き家はいくらでもありますよ!」
という話になり、彼のSNSで宿開業のために空き家を探している人間がいるということを拡散してもらうことになった。
ファイナンシャル・プランナーとして活動していると、お互い知識や経験を共有するだけでなく、このようにお互いの人脈を使ってちょっとした会話がビジネスに結びつくことが多い。
それから2週間経たぬうちに、「小林さん、むちゃくちゃ手が挙がってるんで、一回止めますね」という連絡が来た。話が進むときは進むものだ。しかしこの時は、今度は納得いくまで物件を探して決めようと思っていた。
6月29日、その物件の外見を見せてもらうことになり現地に行った。
朝に福井市の家を出て、国道158号線を岐阜方面に進む。まだ朝の通勤時間帯ということもあって、福井方面に行く車がものすごく多い。この話を取りついでくれたファイナンシャル・プランナー仲間も福井市内に通勤している。都会と地方、という図式は地方の中でもあるのだ。
その物件は大野市蕨生という、大野盆地でも東の端にあった。近くに荒島岳中出コースの登山口があり、自分も何度か来たことがある。大野盆地の西の端にある越前大野城のあたりとは8㎞ほど離れており、通うには少し不便だな、と思ったのだが、

猫林こと「山伏岩」を初めて見たときの写真

田んぼの中にそびえる、「猫林」こと「山伏岩」を目の当たりにしたときには、かなりのインパクトを受けた。この道は過去に何度か通っているはずだが気がつかなかった。これは宿のランドマークとしてかなり受けると思った。
その物件の家主さんは関西在住とのことで、この日はその地区の区長さんにその宿の前まで連れて行ってもらった。この人がすごく前向きな方で、今日見る物件にするかどうかはともかく、出来ればこのあたりで探したいと思った。前の年に「道の駅越前おおの荒島の郷」がすぐ近くに出来ていて、名産物ショップがあってちょっとした買い物なら出来る。中途半端に街なかよりも良いのではないかと思った。
建物の外観を見せてもらう。

この時点ではまだ空き家だった

第一印象は、どこにでもありそうな福井の空き家という感じだった。外壁リフォームしていて、日本の伝統美が感じられる古民家という趣ではない。
しかし、過去に旅宿を泊まり歩いて、詫び寂びが感じられる日本家屋というのは断熱性がかなり低く、また傷んでいる箇所も多く維持管理に苦労するということを知っていたし、建物の趣ではなく宿泊客同士の交流が自分の宿のコア・バリューだと考えていたのでマイナス印象にはならなかった。そして、庭から荒島岳が見える。

この景色が決め手だった

荒島岳の裾野の千枚田の景色を見て、素直に美しいと思った。福井には「映えスポット」として認知はされていなくても、このように美しい場所がたくさんある。
区長さんにこの地区の他の空き家も見せてもらったが、目の前が荒島岳というロケーションは何ものにも代えがたかった。その場でこの物件にしますと言った。この物件の持ち主の人の連絡先を教えてもらい、オンラインで打ち合わせをすることになった。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?