わたしは生きている

まーたしょっぱなから久しぶりの投稿です、と書こうとしましたが久しぶりのnote投稿です。久しぶりだからしょうがないですね。
ごく少数のこのnoteが頭の片隅にも残っている人はひとりもいないでしょうが、前回投稿からの続きです。

拭えない記憶|Taiyaki|note

またちょっと重苦しいお話になるかわかりませんし、書きたいままに書くのでめんどくさそうって思った人はブラウザバックで。
スマホならタスクキルしてください。

わたしのこれまでの投稿を読んでいただいた方には、去年の2022年、わたしが体験した怒涛のような、現実的、あまりに現実的な事がわたしを飲み込みました。

もう勘弁してくれって何回思ったか、誰か助けてくれって思いながら、先日親父の1周忌を終えました。

また喪主はわたしですね。
お墓で最後に一言、のところでめちゃくちゃ泣きました。号泣、嗚咽といいますか。1年あったことが頭の中を駆け巡って。
親父が亡くなった事や、母親まで救急車で運んだことは大変でしたけどそれはしょうがなかったからなんとも思ってません。病気はしょうがない。

わたしが悲しくてしょうがなかったのは、前回投稿で兄貴夫妻の喧嘩に巻き込まれたことで、兄貴がわたしや母親を裏切るような行為をしていたこと、兄嫁がそんな兄貴にしたのはわたしの母親のせいだ、と言って脅しにちかい、いや脅しか?されたことです。

それが去年の7月。そこから半年、穏便にすませようとすべてを飲み込みました。
でもこみ上げる、湧き上がる怒り、悲しみ、裏切られた虚脱感が頻繁にわたしの頭の中を駆け巡ってばかりで、仕事をしていないほうが辛い状況でした。

話は戻ってこの前の1周忌、それが溢れたんでしょうね。
もう涙が止まらなくて、めがねはびしょびしょになるわしゃがみこんで号泣するわで我ながらよく泣いたもんだと。

結局、1周忌の夜に兄貴と母親とわたし、3人で夕食をしたときに、兄貴がなんであんな泣いてたんだ、と言われたので後日、メールで思ってたこと全部ぶちまけてやりました。

反省すると言ってたけどどうなるかは知りませんわ。

で、いまこのnoteを書いている、書けているということは、わたしはその怒涛の1年を乗り越えた、ということになる。
よく倒れもせず、仕事の負担も増える中腐らずに生き延びたなと。

これを糧に新しく生きていけるような気が、ほんのすこしだけしている。

ただ変わってしまったことがあって、流行りの歌や本、頑張れば乗り越えられる、いいことがある、自分を成長させる、とかどうでもよくなってしまった。

簡単にそんな事言ってんじゃないよって。そりゃあ耳障りのいい言葉だと思うけど、わたしが体験したようなことを経験してしまうと、あまりに軽薄で無責任なものに感じてしまう。

いますごくありがたく思うことは、1日ちゃんと仕事をして、何事もなく夜寝ることができる、それがどれだけ幸せなことかっていうことだ。

今年はいい事なんていらないから、健康でただ1日1日を無事に過ごせればそれ以上望むことはない、そんなことを思いながら生きている。

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