拭えない記憶

4ヶ月ぶりくらいかですかね、こちらに久しぶりに投稿するのは。

この記事では、割りと今年前半のことや自分のことを赤裸々に語った。7月の終わり、身体も精神もズタボロだった時の記事だ。

前回からこれまでも色々あった。親父を納骨した日から振り返ってみる。

7月初旬、ものすごく熱かった日曜日だったか、納骨を済ませた。
やっと一安心という言葉が適切だとは思えないけれど、それに一番近しい心境で終えた。やっと少し前を向いて生きていこうと思えた日でもあった。

しかしその数日後、突然兄嫁から僕の携帯に怒涛のショートメール。
あまり詳細に書くと危険なので、簡潔に書くとこうだ。
兄は親父の相続金も、自分の給料も含めお金を家族にほとんど入れいないらしく自分の欲しい物を買いまくっている、そんな兄にしたのは私の母親に責任がある、ということらしい。数日後には母親にこの件を伝えるということだった。

長年付き添ってきた旦那を亡くし、これまで病歴もなかった自分が入院してまだ混乱している母親にこんな事を絶対知られてはならない、と思ったと同時に兄がそんな事をする人物だったという事。それに嫁もいまさらそんな事をうちの母親のせいにして責めようとすることが信じられなかった。
でもその兄嫁のメールがどこまで真実なのか全てを信用しきれない。

結果として、母親に兄のことが伝わらないよう、無理やり僕が解決させた。仕事も何も手につかないほど悩んだ。
内容は割愛するけれど、僕と兄嫁と極力わだかまりがないよう、僕が色んな言いたいこと、怒りを飲み込んで穏便に行ったかとは思う。

ただ、それを解決してから僕の心身のバランスが完全に崩れた。

8月初旬、下痢が止まらない。何かを食べようとしても吐き気を催してきて食べるのが怖い、めまい。
そこに、僕の叔母の命日が近づく。叔母は数十年前、かなりショッキングな形で他界をしており、その亡くなった場所へ意地でもいくつもりだった。
コロナで数年行けていない、今年あったことをどうしても報告したかったからだ。
病院へ行き、点滴やら整腸剤やら漢方薬、安定剤も増やした。
叔母への報告はなんとかすることができた。

そこからは仕事は忙しくなってしまっているけど、やっと大きなことは起こっていない。身体の調子はといえば、だいぶ回復してきているけどお腹の違和感はずっとある。

ただ、頭にずっと鮮明に残ってしまった事がある。

親父が助けを呼んで駆けつけたときに、吐血した血だらけのティッシュが枕元に散乱していた光景。
休日に家に帰ったら意識がなく起きない母親、なんとか起こしてからの吐血。
これが1ヶ月の間に。

仕事に行く電車の中、仕事中、休日の部屋の中、寝る前、不定期にその光景がチラチラ脳裏をよぎる。

それも先日、ついに度を超えて通勤中の地下鉄に乗っている時にあまりに強烈に思い出されて、乗り換える駅で溢れ出てくる涙がとまらなかった。
周りの人が僕を見ながら通り過ぎて、抑えないとと思ったけど堪えきれない。自分でも初めての経験にかなり戸惑った。

僕は自分でも思っている以上に心にダメージを受けているらしい。

住んでいる街、東京の風景、いつも交流する人、よく聞く音楽も変わっていない。
でも今年以前とでは、もう同じ感覚でいることは2度とできないだろう。

この経験をいつか誰かの役に立てられたらいい。
でも今はまだ無理だ。出来そうにない。
毎日をその日1日なんとか生きる、生き延びるので本当に精一杯だ。
ただ静かに暮らしたい。

1日平穏無事に終わることがいかに幸せなことか、こんな経験をしないとわからないなんて僕は本当に未熟者だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?