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苦労して入った台湾の最高学府、台湾大学のキャンパスを散策してみる

台湾の東大とも呼ばれる最高学府、台湾大学に無事に入った喜びを自慢したく、以前noteにまとめました。

 期待とおりのコメントありがとうございます。
 
せっかく苦労して入ったので、みなさんにキャンパスをご案内します。
 
ただ説明するだけだと、途中で飽きてしまいスキのアイコンにたどりつかないと思うので(笑)、テレビのクイズ番組を見ているように、途中で問題を出しながらご案内して行きます。


きれいなヤシの並木道を散策

ヤシの並木道

台湾大学の正門から、きれいに整備されたヤシの並木道が続いています。
常夏のパラダイスに紛れ込んだような気分になりますね。
初めて見る光景なのに、なんとなく親しみを感じませんか?
 
ヤシの木はもともと台湾にはありませんでした。日本の統治が始まってから台湾に持ち込まれたのです。
 
では、ここで問題です。
どうしてここにヤシの並木道があるのでしょうか?

 
正解は・・・
ヤシの木を外国から大量に持ち込んで、日本人が思い描く理想の南国をここに再現したのです。

 
そのためか、初めて見るのにどことなく懐かしい気分になりますね。

台湾大学の歴史を駆け足で学ぶ

台湾大学校史館

ヤシの並木道の左側に、日本でもよく見かけるような西洋風の建物があります。
中に入ってみましょう。
階段も、日本の古い西洋建築にそっくりですね。

校史館の階段


では、ここで問題です。
どうしてここに日本風の西洋建築があるのでしょうか?

 
正解は・・・
日本人が設計したからです。

 
台湾大学の前身は、日本時代にできた台北帝国大学です。
この建物は、昭和5(1930)年に図書館として建てられました。
そのため、日本にある西洋建築そっくりの形をしています。
 
今は、学校の歴史を展示する「校史館」となっています。
台北帝国大学は、東京、京都、東北、九州、北海道、ソウルに次いで、7番目に開校した帝国大学です。
 
日本時代の台北帝国大学は、中国の華南地方や東南アジアの研究が主な目的でしたが、戦後の台湾大学は、台湾における中国研究の中心としての位置づけに変わりました。
国家の政策が変わると、建物は同じでも教える内容が大きく変わったことがわかります。
 
図書館だったことを忘れないよう閲覧室の机といすが保存してあり、SNS映えスポットにもなっています。
知的に読書にふけっているポーズで、写真を撮ってみてください。
きっと絵になりますよ。

閲覧室跡 絵になる空間です

全問正解だった場合、日本台湾往復の航空券がもらえるんですか?
との声が聞こえてきそうですが、残念ながらプレゼントはありません。
クイズ番組の見過ぎですよ!

大学特製アイスクリーム

たくさん歩いたので、汗をかいてきました。
冷たいデザートでクールダウンしながら少し休みましょう。
 
売店で台湾大学特製のアイスクリームが売っています。
学校の構内には農学部の農場があり、ここで飼っている牛からとれた新鮮な牛乳で作っています。
大都会のど真ん中でつくられた、メトロポリタンテイストのアイスをじっくり堪能してください。
 
 では、ここで問題です。
アイスのパッケージに書いてある「三明治」とは、どういう意味でしょうか?

大学農場産直のアイス

正解は・・・
中国語で「サンドイッチ」という意味です。

明治のアイスとは関係ないですよ。
もちろん、明治時代とも関係ありません。
 

 日本の農家のような建物

農場の話がでてきたので、農場まで行ってみましょう。

台湾大学キャンパス内の農場

見てください。
台北の繁華街にいるとは思えないほど、のどかな風景ですね。
台湾名物のバイクの爆音も、ここでは無縁です。
農場の中にも売店があります。ここで台湾大学産直の豆乳も販売しています。
 
のどかな光景の中に、日本の農家のような建物があります。
ここは、台湾の米の品質を改良した「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる磯栄吉の研究室の跡地、通称「磯小屋」です。

旧高等農林学校作業室 通称「磯小屋」

磯栄吉は、1886(明治19)年、広島県福山市の生まれで、東北帝国大学農学科(今の北海道大学)を卒業、台湾総督府の農作物の技師として台湾に赴任しました。
福岡県出身の末永仁(すえながめぐむ)とともに、日本の稲を台湾でも栽培できるよう改良、日本に高く販売できるようになったので、
磯栄吉は「台湾蓬莱米の父」
末永仁は「台湾蓬莱米の母」
と呼ばれるようになりました。

台湾蓬莱米の父と母の胸像

1925(大正14)年には、第10代台湾総督の伊澤多喜男が、台湾で生産されるジャポニカ米を「蓬莱米」と名付け、より注目されるようになりました。
 
戦後、日本人はほとんど帰国しましたが、磯栄吉は中華民国政府の要請を受け台湾に残り、指導を続けました。
今台湾でつくられている米は、すべて磯栄吉と末永仁が改良した米の子孫です。
 

おなかが減っても、いつでも充電できます

台湾大学のキャンパスはとても広いので、動き回るとおなかがすいてしまいます。
でも、心配はいりません。
フードコートやお弁当屋さんがたくさんあるので、いつでもおなかを充電できます。

学校内のフードコート
お弁当の一例

充電するときは、ぜひごはんものを選んでください。
使っている米は、もちろん磯栄吉と末永仁が長年苦労して開発した蓬莱米の子孫です。
2人の偉大な功績を思い出しながら味わってください。
 
では、ここで最後の問題です。
この写真は台湾大学のキャンパス内にある食堂ですが、少し変わったところにあります。どこにあるのでしょうか?

正解は・・・
女子学生宿舎にあります。

といっても、普通の食堂です。
鼻の下を長~くして行っても、何も起こらないですよ。
 
 今日も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
スキのアイコンまで、手が届くところまで来ましたね。
 
ここまで読んでくれたのだから、次のページに行く前にスキのアイコンをクリックしてくださいね(笑)
 
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<参考にした資料>
・台湾大学校史館 展示資料
・台湾大学旧高等農林学校作業室(磯小屋) 展示資料
・nippon.com 台湾を変えた日本人シリーズ:
蓬莱米をもたらし、「台湾農業の父」となった日本人——磯永吉 2017.11.05
https://www.nippon.com/ja/column/g00446/?pnum=1
・nippon.com台湾を変えた日本人シリーズ:
台湾を「蓬萊米」の島にした日本人・末永仁2018.04.29
https://www.nippon.com/ja/column/g00518/
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