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【感想】失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇

今回は「戦場のリーダーシップ篇」
前著「失敗の本質」は組織論に中心に論じられていた。
今作は西洋哲学を基にしたリーダーシップ、経済学による説明など。
視点が変わって面白い。

失敗の本質」で感じたほどの強烈なインパクトは「失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇」では感じなかった。だが学ぶことは大いにある。

ここでは経済学的なアプローチについて思量したことを書いてみたい。

取引コスト理論による分析

「空気」の本質を科学的に分析する
「派閥」の経済学的アプローチ

どちらも2009年度ノーベル経済学賞を受賞したオリバー・E・ウィリアムソンの取引コスト理論によって、説明されている。

取引コストという目に見えないが人間には認識できるコストによって派閥空気も説明できてしまうことに面白さを感じた。

「空気による意思決定」に反論するには、参加者が負担する取引コストを低減し、社会的合理性と個別合理性を一致させる必要がある。

さまざまな取引コスト節約制度を事前あるいは事後的に設計するというのが、新制度派の取引コスト理論の解決策である。

しかしながら、取引コスト理論にも限界があるようだ。
カント哲学なら?

啓蒙されたリーダー :カント哲学

イマヌエル・カントは18世紀ドイツ(プロイセン王国)の哲学者である。

カントは人間が他律性自律性を合わせ持つことに注目し、自律的な意志に基づく自由な行為こそ、動物にはない人間独自の行為だと考え、そこに人間の尊厳があるとした。
彼(カント)は自律的な意思を実践できる人間を「啓蒙されたリーダー」と呼んだ

人間の他律性とは

外部要因に対して刺激反応し、外圧の影響を受けて動物的・衝動的に行動する。

外部要因:制度、ルール、脅し、暴力、権威など

人間の自律性とは

人間には外圧に抵抗する意志があり、その意志に従って自由に行動することもできるとする。

抵抗する意志:衝動的に安易に行動をした時、「そうすべきではなかった」と自らの行いを反省すること。

取引コスト理論の限界を乗り越えるには

新制度派の取引コスト理論の解決策としては、端的に言えば「取引コストを節約する制度を作ればいい」と主張する。

しかしながら、新制度派の解決はカント哲学で考えるとよろしくないと論じている。

他律性(制度)に依存する人間にとって、新たな制度がさらに他律性への依存度を高めてしまうと言う事態を招く。(システム思考でいう自己強化型ループ)

こういう他律的エリートが統率する組織では、メンバーは容易に取引コストを計算し、合理的計算の下に全員一致で「空気」を読み取ることになる。そして、合理的に非効率的で不正な結論に導かれることになる。
限定的合理的な人間の集まりである組織が失敗を回避するには・・・

ここで登場するのが「啓蒙されたリーダー」である。

取引コストにとらわれた人々の、他律的な意思決定に対し、一石を投じることのできる人物、それが、自律的な意志を実践する「啓蒙された人」である。
人間として生まれた以上、人間は自由な意志に基づき自律的に行動すべきである。脅しに耐え、取引コストを負担しても、なお正義や正しい状態へ移行すべきである。これが、人間としての責務であり、義務なのである。

我々が人間であり続けるためには、人間だけが持っているとされる自由意志に基づく自由な行動をして、正しい状態へ自ら率先して進むべきであろう。

外的要因による衝動的・動物的な行動ばかりなら動物と同じであろう。

結局のところ、他責ではなく自責的行動をした方が良い。
自分の頭で考えようとは言ったものの、世の中ではどのように考えればいいのかは多くは語られていないように思う。

ここに大きなヒントがある。

ルールや制度の他律的なものに束縛されない自由意志に基づく意思決定。

世の中がこうだから、社会がこうだから、年齢がどうとか、会社のルールが・・・といった他責にならないようにしたい。

そんなルールを取っ払って、私は何を実現したいのかをフラットに考えられたらきっともっと楽しい人生になるはずだ。

「価値自由原理」による解釈

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、事実問題(効率性の問題)と価値問題(正当性の問題)を区別し、経験科学としての社会科学は事実問題だけを扱い、価値問題を扱うべきではないと主張した。
→ ウェーバーの社会科学方法論の中心原理である「価値自由原理」である。

事実問題は、事実を調べることによって議論に決着をつけることができる。
価値問題は場によって相対である。(場によって解釈が異なる)

よって双方を区別すべきであり、価値原理は扱うなという主張。

これに対して、

価値問題は合理的に議論できないと決めつけるべきではないという。
(科学哲学者カール・ライムント・ポパー)
価値問題も論理整合性を基準にして十分議論すべきと主張。
いずれにせよ、重要なのは効率性(事実)問題と正当性(価値)問題は異なるということであり、効率的なものが常に正当であるということにはならないのである。

事実問題(効率)と価値問題(正当性)の2軸で考えると良い。

同書では効率的で正当性のある派閥は生き残ったが、そうでなければ滅びたと書いている。

非機能系に関する考察

プロダクト開発において機能開発をすべきか、言語やライブラリのバージョンアップ、リファクタリングをすべきかという問題においても当てはまりそうだ。

こういった話題は「価値自由原理」で考えると事実問題価値問題を混同して議論しているので収拾がつかなくなっているのではないだろうか。

正当性はエンジニア視点と事業視点では解釈が異なるであろう。
こういった議論は収集がつかないか強者の意見が通る。

解釈の違いをどうにかして一致しようとするのではなく、意見の違いを双方が認識した上で互いの正当性を理解しようとすることが必要だろう。科学哲学者カール・ライムント・ポパーが主張するように合理的な議論は可能かもしれないが・・・かなり難しいように思う。

その上で価値問題を切り離して、事実問題(効率性)について議論を重ねることで着地点を見出せそうな気配がする。

全てをリファクタリングすることは難しいかもしれないが、事業効率性を高められる可能性が高いいくつかは、この観点で論理的に議論することは可能そうだ。

以上。



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