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書けない劇作家が、50日間noteを書いて気づいたこと

noteで毎日、”なにか”を書き続けて、昨日で50日が過ぎました。
意外と早かったような気がします。
そんななかで、楽しいなと思うこともあり、困っていることもあり。

この記事は、50日前の自分、それからこの先の自分のために。
そして似たような状況の方のために、書き残したいと思います。
大げさで小っ恥ずかしい内容になりそうですが、読んでみてください。

自己紹介とこれまで

僕は「ロボット劇作家」を名乗っています。
試験に合格して得た肩書きでも、大きな実績があるわけでもありません。
演劇の世界と、ロボットと、書くことが好き。
それがわかりやすいので、このように名乗っています。勝手ですね。

好きな気持ちが先行したので、演劇やロボットのお仕事で生計を立てられる状況ではありません。
特に今月(2020年12月)はほとんどお仕事がなく、前職(サラリーマン時代)のわずかな貯金を切り崩しながら生活しています。
不安がないといえばウソになりますが、これも想定していたとおりです。

このように「想定どおりです」と言えるようになるまで、思ったよりも時間がかかりました。

自ら望んだはずの、退職後。
環境の変化に戸惑い、自信を完全になくしていた時期がありました。
そんな「なにも書けない……」という状況を打破するために、「ムリヤリにでも毎日書く」。
そんな矛盾めいたルールをつくったのが、50日前です。

廃人だった経緯は、前回の記事でお話ししています。ご参考まで。

この記事では、50日間で考えたことや起こった変化を、3つの観点からお話しさせてください。

① よかったこと: 追い込みと、思い込み
② よかったこと: 得意と、好きと、書きたいの区別
③ こまったこと: 一日で書けるものに、満足してしまう

① よかったこと: 追い込みと、思い込み

風邪の日も、心底ネガティブな日も、酔っぱらいになっても、なんとか50日間、記事を公開してきました。ここまで続けられてうれしいです。
ただし、"続けてきたことがすごい"といった自負は、僕にはありません。

"なにかを書く"が唯一のルールなので、あくまで素振りみたいなものですし、毎日安定して面白いと自己評価できる記事が書けたかと言うと、そうではありません。
0時こそ超えなかったものの、投稿時間が23時55分を過ぎた日もしばしば。

それでもこの50日間で得られたのは、「なにがなんでも書くし、なんとか書ける」という自信――は言いすぎかな――そういう、切り抜け方です。

それに、noteのゲーミフィケーション要素が面白くて、ついつい記録を途切れさせたくない!と思っちゃうんですよね。デザインのおかげかも。

② よかったこと: 得意と、好きと、書きたいの区別

”なにかを書く”と言いながらも、だんだん書く記事のジャンルが絞り込まれてきました。
その中で、得意な文章、好きになれる文章、書きたい文章が少しずつ違う、ということがわかってきました。

得意な文章は、たとえばロボットに関するエッセイ(ロボット同居日記)。
自分の体験を深堀りしながら、自分の言葉で書けるので、1時間程度でサクッと楽しみながら執筆しています。
ただし、ネガティブな体験をすることもあるので、ウソはつかないように気をつけながらも、読んで楽しめる表現になるように試行錯誤もしています。

好きになれる文章は、読書感想文やイベントレポ、観劇録のような記事。
内容を伝えつつ、ネタバレを避け、かつ感想は明快に、自分の言葉で……というバランスが、とても難しく面白い。
だからこそ凝り、きれいに書き上げられると、満足感があります。
また、同じ体験をした観客の方やスタッフさんからリアクションをいただくこともあり、やる気がブチ上がる日もしばしば。
感想をくださった皆様、ありがとうございました!

書きたい文章は、ちゃんと誰かに届く文章。
先ほどと少し似ていますが、もう少し抽象的な、心がけのようなものです。
それはエッセイでも、ショートショートでも、観劇録でもいいのです。
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、たったひとりでも、誰かの心にしっかりと残る文章を書きたいな、と思っています。

③ こまったこと: 一日で書けるものに、満足してしまう

残念な気づきもありました。
毎日、物語は書けないということです。

noteには日々、素敵なストーリーを紡ぐ作家さんが多くいらっしゃいます。
ですから、これはあくまで僕個人の事情です。
そして、劇作家としてさらなる鍛錬が必要であることも理解した上で、少なくとも現時点の感覚だということを申し添えます。

僕が毎日、物語を書けない理由。
それは、2つあります。

ひとつは、毎日やってても、楽しくないから。
戯曲のような読み応えのある作品を、ある一日で瞬発的に書き上げることは、僕にはできません。
生み出す作品のことは徹底的に考えて、細部までこだわりたいという思いが僕の中にあることを自覚しました。

その上で、読んでくださる皆さんを想像した時。
たいして練られてもいない物語。しかもロボットモノというマイルール。
そんな自己満足を押し付けるなんて、申し訳ない気持ちになるのです。

連続モノも試しましたが、テーマや構成も練らずに書き始めた物語は、だいたい次の日には飽きてしまいます。
これは僕の構成と、持久力の問題でしょう。
以下に、あえて失敗例を載せておきます。供養のつもりです。

もうひとつは、作品のアイデアを浪費してしまうことに気づいたから。
自分ではじめた習慣なのに、そんな言い方はやや傲慢とも思いますが……

今日中にテーマにたどり着き、書ききらなければならない。
それは、本来もっとゆっくりと考えた上で、着実に掘り下げるはずだった鉱脈を自ら壊すような、残酷なことを自らやっているように思えました。

僕にとって、毎日書くnoteには、そのルールにあった作品づくりや執筆の方法があると気づきました。
劇場など別の場で上演する戯曲や、発表する作品。
そういうものを楽しみにしていただけるようなアナウンスも、これからnoteで行っていきたいです。

以上が、この50日間、毎日"なにか"を書いて、僕が考えたことでした。

ポジティブな気分も、ネガティブな考えも、noteを始めた頃にはなかったアレコレに気づけて面白いです。
毎日絶好調!とはいえませんが、これからもきっと大丈夫だろう、という感覚は手に入りました。
次にこの記事を書くときは、どんな気分になっているかな。

この記事が、"僕に似た誰か"に届き、役に立てることを願って、今日は筆を置きたいと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました! これからも応援いただけたらうれしいです。 (いただいたサポートは、作品制作のために活用いたします!)