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書けない劇作家が、20日間noteを書いて気づいたこと

noteで毎日、”なにか”を書き続けて、今日で20日目になります。
「毎日書いて、毎日発信する」ということに、だいぶ慣れてきました。

3週間前の自分、それからこの先の自分のために。そして似たような状況の方のために、この記事を書き残したいと思います。
少し大げさで小っ恥ずかしいタイトルですが、読んでみてください。

自己紹介するほどでもないけど、

僕は「ロボット劇作家」を名乗っています。
なにか試験に合格して得た肩書きでも、名声があるわけでもありません。
演劇の世界と、ロボットと、書くことが好き。それがわかりやすいので名乗っている感じです。勝手ですね。

好きな気持ちが先行したので、演劇のお仕事で生計を立てる状況ではありません。前職(サラリーマン時代)のわずかな貯金を切り崩しながら、たまに書く仕事をして生活しています。
脱サラといえば聞こえはいいですが、数ヶ月後にどうなっているかはわかりません。それも含めてエキサイティングですけど。

3週間前まで、廃人でした。

かなり最近の話で恥ずかしいのですが、「書くこと」を生業にしていながら、なにかを発信することに、妙な緊張を覚えた時期がありました。

「自分のテーマとする領域(ロボット)に沿って書かなきゃ……」
「誰かの心にしっかりと届ける用意をして臨まなきゃ……」
「久々に書く作品がこんなレベルじゃ恥ずかしい……」
「自分の考えがまだ浅いんじゃないか……」

そんなことばかり考えてがんじがらめになり、Twitterのツイートすら一文字も書けないまま、一日が終わっていく。
残るのは、部屋にいる廃人のような自分と、言語化できないモヤモヤとした欲求。時間とお金だけが消えていきました。
友達や仲間と話しても、募るのは焦りばかり。おいおい脱サラ前の自信はどこにいったんだよ、みたいな日もありました。

日課としてnoteへの投稿を始めたのは、そんな折。
まだたったの3週間弱ではありますが、毎日書き続けていく中で、なんとなーく実感として気づき始めたことがあります。

そんな「最近気づいたこと」を、以下の3つに分けてお話しさせてください。

① 恥はかくけど、諦めて書ける
② ネタ探し、ちょっと楽しい
③ 小説は素振り、戯曲は打席


① 恥はかくけど、諦めて書ける

noteを書いていると、「あー、なんかこの記事、公開するの恥ずかしいなー」って、思わず下書きに永久保存しそうになりませんか?

僕は毎日のようになっています。
今日もこれを書きながら、やっぱり別の話にしようかな……って。

でも、書き出しに戻るのは時間もったいないし。
いったん保存したら、きっと二度と掘り起こせないし。
仲間や友達に「毎日書いてる」って言いながら、「今日はお休みします」とか言い出したら超カッコ悪いし。
そんなこと誰も気にしなくても、せめて自分にはカッコつけたいし。

だから毎日、恥を忍んで書いてます。
「開き直りだエイヤーッ!」みたいな感覚です。踏ん切りですね。

それから、noteさんはゲーミフィケーションが上手なので、毎日書いていると「XX日連続投稿!すごいです!」なんて褒めてくれます。
そんな優しいメッセージのおかげで、日付が変わるギリギリになろうが、なんとか書き上げています。これも踏ん切り。
つい嬉しくなってホイホイ書いては、こっそりスクショを撮り溜めてます。ありがとうnoteさん。

② ネタ探し、ちょっと楽しい

毎日何かしらを書かなければいけないので、自然とネタ探しをするようになりました。

ぼーっとする廃人生活では何も生まれないから動こうってなるし、
忙しい日も頭の片隅で「今日何書こう……」なんて思っています。
読んだもの見たものが面白ければ「これについて書きたい!」ってなるし、
なにもない日でも「落ち着いて物語考えよう」ってなるので、
ほとんど外に出ない昨今ですが、ちょっと健全になった気分。

普通に思える日でも、自分の感じ方次第で、面白さとか変化を発見できるし、表現の糸口がある。
それを見つけるいい練習になってるな、って感じてます。楽しいです。

③ 小説は素振り、戯曲は打席

まだまだだなー、と感じていることも、もちろんあります。
それは、書くジャンルが偏っていること。
最近の自分の傾向として、エッセイ(日記)を書く日が増えてきました。
劇作家と名乗るからには、フィクションの物語を考えて書くクセをつけたいので、自省しています。

今、この記事と並行して、3ヶ月後(2021年2月)の公演に向けた短編戯曲も書いています。
しかし、エッセイや掌編小説とは「使う筋肉」がまったく違うことに気づきました。よく考えれば当然ですけど。

エッセイは呼吸みたいなもので、ショートショートは素振りだし、戯曲は打席の気分です。
呼吸は意識しなくてもできるけど、素振りは意識的なトレーニング。打席はいい緊張感を持ってヒットを打ちに行く本番。
あくまで「自分にとっては」ですし、すべて自分の作品という点では一貫しています。
だから、書くからには適当にこなしたり、妥協したりはしません。

ただ、「戯曲を書く」という本分においては、まだ自分の悪い緊張が取れてないなあ、と思ってます。これはもう打席に立つしかねえなと。
せめて日々noteで物語を書きながら、素振りの機会を増やそう、というのが個人的な課題です。
戯曲を呼吸するように書けたら楽しいかなあ、と想像したりもしますが、今より薄まったものを書いてもしょうがないので、もう少し先の話かもしれません。着実に頑張ります。


以上が、この20日間、毎日"なにか"を書いて、僕が気づいたことでした。

まだ3週間弱ですが、たった3週間の解像度だからこそ、感じられたことがありました。
この先どこまで続くかはわからないけれど、「今日も書けない……」みたいな大スランプからは、抜け出せたと思っています。
今書き進めている戯曲にも、多かれ少なかれ、いい影響を与えてくれています。

もう少し経った時、別の発見もあるといいな。
こうしてnoteで楽しみながらトレーニングできる日が、一日でも長く続けられるといいな。

そしてこの記事が、ほんの少し前の僕に似た誰かの、ほんの小さな力になれたなら、うれしいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました! これからも応援いただけたらうれしいです。 (いただいたサポートは、作品制作のために活用いたします!)