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義務教育終了後の足跡①: 小学校から高校

昨日からはじめたnoteだけど、どんな感じに更新していきたいかは自己紹介を兼ねた日記で述べたとおり。

とりあえず今日は義務教育を終えてから高校、大学くらいまでに考えていたことを振り返りながらつらつらと綴っていきたいと思います。読んでいけばわかると思いますが、研究者になりたいなんて多分博士進学の直前まで思っていなかったし、研究者って変わり者だと思われがちだけど平均的な人生を歩んできたと思っています。なので、高校から大学、大学院くらいの変遷を書いて行けば、「普通の人でも研究者になる(なれる)んだなー」と思ってもらえるのではないかと。まあ、「普通の人」ってなんだろうというのも難しいところではあるのですが...

小学生の時から人の言われたとおりにすることが得意だった(と記憶しています)私は毎日学校に行き、授業を聞いて、宿題もして、テストもそれなりにできて...という感じでした。ただ、学校は基本的に苦手だったので発熱した朝はうれしくて、胸を張って学校を休んでいました。苦手といっても、友達関係が上手くいかないとか、いじめられてたとかじゃなくて、多分一般的な子どもたちが抱いてる「学校だるいなー」くらいの感覚です。それは中学でも同じでしたが、部活(ソフトテニス部)が楽しかったので小学校よりはちゃんと通っていたかなといった記憶です。それでも、発熱した朝はうれしかったです。台風も。

人の言われたとおりにできる私は、中学でもそこそこ勉強は出来たので、何も考えることなく自分の偏差値で通るであろう公立高校に入学しました。これまで無難にそこそこやれて来ていたので、これからも無難に高校生活を送って、大学に入って、会社に勤めて、結婚もするのだろうなーなんてことをぼんやりと思っていたわけです。

ただ進学した高校はいわゆる進学校で、朝7:30から課外が始まるし、宿題も予習も多いし、なにより家から1時間くらいかかるので朝起きるのが早い。最初はなんとも思わなかったのがだんだんとしんどくなってくる。でも学校に行かなきゃ、宿題しなきゃ、予習しなきゃ...と自分に鞭を打って頑張っていました。ある程度のことは無難にこなせるはずなのだから...

そんなことを1年半くらい続けた高校2年の夏休みに、ある疑問がふと頭の中によぎりました。

「俺は何で頑張っているのだろう?」

おそらく大学に受かるためなんだろう。でも大学に受かってどうなる?大学に行くのは将来の夢をかなえるための手段であって目的ではないだろう。じゃあ、将来の夢って何?みたいなことがグルグルと頭の中で繰り返されました。高校2年のときの担任の先生は、校則に従わない生徒に説教するときによく「高校は義務教育じゃないんだ。規則が気に食わないならやめろ」と言っていました。これは、本気で言っているのではなく説教の決まり文句だったわけですが、このときの私にはなぜか別の形で刺さります。

「高校は義務教育じゃないのに私はなぜここで教育を受けているのだろう。おそらくここにいるみんなは大学に受かるために義務教育じゃないのにここで勉強しているのだろう。だとしたら、将来の夢も大学に受かるための理由もない私はここで頑張らなくてもいいのではないか。」

と考えるようになります。何となく、何とかなるだろう精神で生きてきた私はここで足が止まります。私は将来何になりたいのだろう。どうなりたいのだろう。私が本当になりたいものになるためのルートは、高校→大学のルートで合ってるのだろうか?こういった考えに至った高2の夏に、私は学校に行くのを止め、いわゆる不登校というものになります。先に言うと、約3か月後くらいにはまた高校に行き始めます。不思議なもので当の本人はたった3か月学校に行かなかっただけで自分が不登校だと全く思っていなかったのですが、学校に戻ると「不登校の人」がまた学校にやってきたという感じ。本人と周囲の人の感覚のギャップに驚いた出来事でもありました。

今日の日記で大学入学まで行こうかと思っていましたが意外と疲れたので続きはまた今度にします。

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