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クリエイティブの力で、う〇こを流さない人間にう〇こを流させた話。

挨拶

こんにちわ、採用コピーライターのオヤマダです!
仕事のできる人間が人格者とはかぎらないように。仕事のできる人間が社会のルールをきちんと守らない人間であることもあったりするのです。突然ですが、世の中にはトイレで出したう〇こを流さない人間がいます。許せん。しかも、それが同じ会社の人間だとすると、なんともいえない気持ちになってくるものだったりします。

う〇こを流さないやつがいた

かれこれ10年近く前の話になるのですが。当時勤めていた会社で「トイレでう〇こを流さないやつがいる」という事案が部門ミーティングの議題に上がったことがありました。

「こんなことを議題に上げるなよ」という気もするのですが、「そういう人もいるよね」とダイバーシティっぽく水に流せる議題でもありません。水洗式トイレは清潔好きな人類が生み出した叡智。それを利用しておきながら「流さない」というのは、何かしらの反逆の意志があると考えたほうが信憑性があるというもの。ミーティングでは「クソくらえ」という会社へのメッセージではないかという意見も出ました。真相は分かりません。ただ一つはっきりしていることは、便槽にはう〇こがあるということだけです。

クリエイティブの力でう〇こを流させよう

くわしい経緯は失念してしまったのですが、「う〇こを流さないやつにクリエイティブの力でう〇こを流させよう」という話になりました。要は、コピーライター集団の頭脳を結集し、注意喚起のコピーが書かれた張り紙で犯人諌めようというのです。

ちょっと考えれば、人を使うコストをもっと別のことに回したほうがいい気がするのですが、制作組織というのはいつの時代も「自分でお金を稼いでくるわけではない」ため、その存在意義が経営陣から問われているもの。「なんとか自分たちの価値を認めさせたい!」という政策責任者の思いがあったのかもしれません。

そして、たぶん、みんな疲れていたのでしょう。疲れている人々というものは、目の前にある面白そうな企画に乗ってしまいがちなものなのです。かくいう私も、疲労困憊&慢性睡眠不足ということもあり、「やってやるぜ!」「クリエイティブなめんなよ!」と息巻いていたのでした。

まずはプロファイリングから

広告コピーを作るうえで大切なのは、この広告を届けるべきターゲットの理解です。ターゲットを把握しておかなければ、その心に届くコピーは生まれませんから。そんなわけで、まずは犯人の情報を集め、犯人像を特定していくことになりました。

犯行時間はバラバラでした。しかし、被害は男子トイレだけだったため、犯人は男性社員と推測されました。そして、会社のトイレは廊下にあり、フロア内にいる300名近い男子社員が利用できる。う〇こをするのは大専用の個室。使用後はドアが開けられ。開けっ放しの状態のままとなります。つまり、犯行はトイレに誰もいないタイミングで行なわれているということが見えてきました。

フロア内にいる社員で営業時間内の行動が比較的自由な人間とは誰かなのか。この線で考えていけば、犯人(ホシ)に突き当たると、我々は考えました。

営業?いや、彼らは日中は外出していることが多いし、オフィスにいる時は電話をかけなければならない。

事務?いや、女性が多い。男性も一部いるが、管理系の仕事をしている人たちで忙しく、そうそう席を離れられると思えない。

…!?

なんということだ。消去法で犯人と考えにくい人たちを消していった結果、コピーライターたち制作部門の人間がもっとも犯行がたやすい勤務体系という発覚してしまったのである。ガビーンである。

クリエイティブで悪しき心を討て

私を含む制作上層部は動揺しました。まさか、身内に犯人がいるなんて。広告コピーを書く仲間の中に、う〇こを流さずに平気な人間がいるとは。しかし、物事の悪い側面ばかりでなく、良い側面を見つけるのが上手いコピーライター集団。すぐにこんなポジティブな意見が上がりました。

「犯人がコピーライターだったとしたら、なおさら、コピーが有効な手段となるのではないか」と。

なぜなら、広告コピーが嫌いなコピーライターなんていないから。今は心がダークサイドに染まっていても、良いコピーを読めば、きっとジェダイの心を取り戻してくれるに違いないと。すると、「たしかにその通りだ!」「コピーで心を清めてやろうぜ!」といった声が次々と上がり、ミーティングルームは沸いたのです。

ポジティブというのは、時として危険です。特に、疲れているときのポジティブ思考は大きな見落としがある可能性大なので、「あ、今、私、ポジティブすぎる…!」と感じたときは、片足立ちを30秒してみるとか、弾幕系シューティングで遊んでみるとか、まったく別のことをやって一旦冷静になってみることが大事だぞ。

で、話は元に戻るのですが。

コピーライターの有志たちが集まり、う〇こを流さない人間にう〇こを流させるための広告コピー制作大会が幕を開けたのでした。

宴の始末

日々の通常業務で疲労困憊なコピーライターたちが、いろいろなう〇こを流させるコピーを作り、グラフィックとともに広告にして、トイレに貼り出されることになりました。

誰の広告が効果的だったかはっきり分かるように、1週間ごとに貼られる広告を変えていく方法が採られました。

面白いコピー、
どっかで聞いたようなコピー、
まじめなコピー、
ひねりすぎたコピー、

う〇こ流さない犯の良心に訴えかけようと、いろいろなコピーが製造されました。しかし、どんなコピーも、う〇こ流さない犯の心に届くことはなく、我々をあざ笑うかのように、う〇こが流されない状況は続いたのです。

ゲラゲラ笑いながらこのプロジェクトを進めていたポジティブ制作部でしたが、状況が長引くにつれて、自分たちの立場が危うくなっていることにようやく気がつきました。「コピーライターが束になっても、う〇こ流さない犯を止められない。本当にウチの制作チームのクリエイティブ力ってすごいの?」という空気が社内に漂い始めたのです。

このままでは「ヤバい!」と思われたとき、とある注意喚起のコピーがトイレに貼り出されました。そして、う〇こ流さない事件は、その注意喚起ポスターを貼った途端、ピタリと収まったのです。

そのポスターに書かれていたコピーはこうでした。

いつもトイレをきれいに使ってくれてありがとうございます。

この事件から学べること

コピーライターという仕事をやっていると、「広告年鑑に載るようなコピーを書きたい!」と思うことってありますし、実際にそんな感じのコピーを書くこともあると思います。

でも、それではダメなのです。

形だけをマネしても意味がありません。求められている成果を出すためのコミュニケーションの形を考えることがコピーライター。いくらクリエイターっぽく振舞っても、広告コピー好きアピールをしても、そんなものはクライアントには関係なく、クライアントが求めているのはお金を払うだけの価値がある成果なのです。

いつもトイレをきれいに使ってくれてありがとうございます。

は、よくあるトイレの標語です。

コピーライターが考えるからにはもっとかっこいいものを……なんて考えてしまいがちですが、地味さとはシンプルということでもあり、無駄がないことでもあります。そんな言葉が、もっとも効果的であるということも世の中には存在するのです。

僕は、この一件からそんな学びを得たのでした。

世の中には、いろいろな言葉があふれています。特に標語の類は、使い古されたフレーズをずっと使っていたりします。しかし、それは本当に古いものなのか。ダサいものなのか。もしかしたら、消費期限が異様に長いフレーズなのかもしれませんよ。

それでは、みなさん良い1日を!

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