「自己責任論」は、不感症OR全身麻痺って病気である。


上記文抜粋
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「人生の第一義は労働ではない」…弱者のために戦った「人権弁護士の父」はなぜ「働いたことのない義父」を讃えたのか?『漫画トリオ』上岡龍太郎が最期まで貫いた「美学」の意味

いつまでも現役でいたい気持ちは誰にでもある。だが、「卒業」のタイミングを見逃して、老いさらばえるのはいかにも悲しい。人生の達人たちから、残り時間を愉しく、有意義に生きるヒントをもらおう。

前編記事『「ビル・ゲイツは52歳だし、安室奈美恵は40歳で引退ですよ」『漫画トリオ』の上岡龍太郎はなぜ「人気も芸も絶頂のタイミング」で引退を決めたのか? 達人の人生の締めくくり方』より続く。


忙しい毎日

引退というと、隠居のようなゆっくりとした暮らしをイメージするかもしれない。だが、上岡さんの生活はそんなのんびりしたものではなかった。全国紙はすべて目を通しインプットは欠かさない。毎日のように歌舞伎や落語を観に行き、ゴルフは月に20回ラウンドするといった具合だった。

「落語は、米朝師匠を心から尊敬しており、一門の公演があると必ず足を運んでいました。南光、ざこば、雀々らの高座もよく観ていました。

歌舞伎では、いちばんのご贔屓は亡くなった中村屋(十八代目勘三郎)。年が近くて同じ京都西高校(現・京都外大西高等学校)出身の片岡仁左衛門さんとも仲が良く、『孝夫ちゃん』と呼んでいました」

「芭蕉と曾良のバディもの」をやりたい

映画も大作からB級までくまなくチェックしていた。加藤さんは、師匠が引退後にいちばんやりたかったのは映画製作だったのではないかと推察している。

「撮影所がある京都で育ち、幼いころから京極の映画館に入り浸っていましたからね。ずっと頭にありながら、唯一現役時代にやれなかったことなのかもしれません。

あるとき芭蕉と曾良のバディものをやりたいと言い出したことがありました。芭蕉は橋爪功さん、曾良は國村隼さんと配役まで具体的に決めていた。

御子息の小林聖太郎さんが映画監督になったのは、少なからず父親の影響があったと思います」

加藤さんは、上岡さんの人生観に影響を与えた人物として、祖父の存在を挙げる。

「師匠の母方の祖父は資産家で、夏でも白い麻の三つ揃いにパナマ帽姿のダンディ。一生、働いたことがなかったそうです。一方、師匠のお父さんは貧しい生まれの共産党系弁護士で、権力と闘い、弱い者を助ける人権派。しかし、不思議なことにお父さんは義父のことを『あの人はエライ』と尊敬していたそうです」

上岡さんはこんな言葉を残している

「働く貧しい人たちのために弁護士としての生涯をささげた父が、働かない祖父のことをエライというのは論理が矛盾しているかもしれない。しかし父も祖父も意図していたかどうかは別として、人生の第一義は労働ではなく、それぞれ個人がなんらかの目的や楽しみや醍醐味を味わうべきだという認識が一致していた」

そして上岡さん自身も、自分の人生の目的や楽しみがなにか、はっきりとわかっている人だった。だからぶれない。美学が揺らがない。

「晩年、病気になってからも美学を貫かれていました。'18年頃から間質性肺炎が悪化したこともあって、ご本人から『聞き書きを休みたい』という申し出がありました。強くない、美しくない上岡龍太郎は見せたくない、ということでしょう。

間質性肺炎のきっかけは糖尿病です。師匠は好き嫌いが激しく、ごはんやうどんといった炭水化物ばかり食べていた影響もあるのか、糖尿病になってしまい、その薬の副作用もあって肺炎になってしまったんです。それ以来、何度か手紙のやりとりはしましたが、お会いすることはありませんでした」

昨年秋頃に入院したときも、誰にも連絡しなかった。葬儀は近親者のみによる密葬。お別れの会の開催も固辞した。

すべては引退を表明したときから計算されていたのかもしれない。そう思わずにいられないほど、きれいな幕の下ろし方だった。

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抜粋終わり

働かない人が、働いている人を嘲笑う・・のは論外だ。

同時に

働いている人が、働かない・働けない人に怒るのは、アホだ。

「人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ(楽人者其楽長,楽身者不久而亡。)」

上記文抜粋
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「路上で石を売っていた」元芸人が、100人のホームレスを取材するまで

さまざまな背景を持つホームレスたちにインタビューするYouTube「アットホームチャンネル」を運営する元芸人の青柳貴哉さん(41歳)。今年4月には、これまでに取材した約100人のホームレスのなかから若い世代4人にフォーカスし『Z世代のネオホームレス 自らの意思で家に帰らない子どもたち』(KADOKAWA)を出版。青柳さんはなぜホームレスにカメラを向けるのか、話を聞いた。


「クソみたいな」昼夜逆転生活

――学校卒業後は何をしていたんですか?

青柳貴哉(以下、青柳):福岡県で生まれて地元の福岡大学経済学部に入ったんですが、学生時代にバンドを始めて、卒業後はプロになろうと思っていたんです。就活はせずにバンド活動を続けて、有名アーティストの前座などをやっていたんですが、大学卒業後3年ぐらいで結局解散することになったんです。

バンドマン時代は、クソみたいな生活をしてたんですよ。ほとんど働かずに親のスネをかじっていたし、当時から付き合っていた今の嫁にも、お金を借りまくっていました。それでも、俺はバンドやっているから大丈夫だと思い込んでいた。

当時、博多駅前に住んでいて近所にレンタルビデオ店があったんです。夜中の4時を過ぎると当日扱いになって100円で借りられるので、午前3時に店に行って1時間ほどかけて選んで、4時になった瞬間にレジに行っていた。そういう昼夜逆転の生活を続けていました。人間として終わっていました。

ずっと食えなかった芸人時代

――その後はどうしたんですか?

青柳:バンドが解散したのでさすがにこのままではマズいと思い、とりあえず東京に行くことにしたんです。それで、映画が好きだったので親や友人に「俺、東京に行って俳優になるわ」と言って家を出ました。一応俳優を目指すというテイで上京したんですが、そう簡単になれるはずもなく、1年間ぐらい渋谷の映画館でもぎりのアルバイトをしていたんです。たまに渡辺謙とか渡部篤郎みたいな大物俳優が客として来ることがあって、そういう人を見ているだけで「よし、俺も近いところにいるぞ!」なんて思っていたんですよね。

そんな不毛な東京生活が1年ほど経ったころ、高校時代の同級生が吉本興業の養成所(NSC)に入るというので、仲間うちで誰が一番面白いか決めようってことになったんです。それで正月に10人ほど地元に集まり、コントと大喜利でお笑いバトルをしたら、僕が優勝しちゃったんですよ。

プロを目指しているヤツよりも俺は面白いことできるのかなと思って、その時3位だったヤツを誘って吉本に入ったんです。それが28歳の頃で、「ギチ」というコンビ名で活動を始めました。

ただ、バンドと同じで芸人もそう簡単に食えるような世界ではないんですよね。その頃は弟と一緒に住んでいたんですが、金がなくて弟の財布からこっそり金を盗むこともありました。バイトは下北沢のバーテンダーやAV女優のマネージャー、転売ヤーの並び屋、お金持ちの運転手など何でもやりました。当時の生活を思い出すと、ホームレスの方と自分は本当に地続きだなと今でも思っています。

「ホームレスに怒られたこと」がきっかけに

――当時、印象的だったことは?

青柳:35歳の頃、お金持ちの運転手として路肩に車を停めて待機していた時、路上でゴミを漁っているホームレスの姿が運転席から見えたんです。寒さの厳しい時期だったので、気の毒に思ってふとチョコレートをあげようと思ったんです。ところが、車を降りて声をかけて手渡そうとしたら、ものすごい剣幕で怒鳴られてしまった。

薄っぺらい同情心を見透かされたのだと今は思いますが、その時はなんで怒られたか、よく分からなかった。なぜ怒られたのかを知りたいという気持ちがずっと残り、この経験がホームレスの方々へのインタビューを始めたきっかけになっています。

「父の死」がすべてを変えた

――お笑い芸人に区切りを付けることにしたのは、どうして?

青柳:36歳の時に親父がガンで亡くなったんです。ちゃんとした姿を何も見せられなかったと思うと、自分が不甲斐ないし情けなかった。母親の時は同じ思いをしたくないなと思って、それでスパッと芸人を辞めて正社員になり、23歳から付き合っていた彼女と結婚することにしたんです。

当時、芸能事務所でアイドルたちの活動を支えるアルバイトをしていたので、そこで社員として働かせてもらうことにしました。事務所は辞めましたが、コンビは解散せずに今もネットラジオだけは活動を続けています。

多摩川で拾った石を売っていた

――会社員生活はどうでしたか?

青柳:働きながらも何か面白いことをやりたい気持ちがあって、河原で拾った石に値段つけて路上で販売したりしました。ちょうど仮想通貨ブームの時期だったので、ビットコインでいけるなら河原の石だっていけるだろうと。みんなが価値を認めれば、何だって価値が生まれるハズだと思ったんです。

それで多摩川で石を拾ってきて、これは人の顔に見えるから「人面石」、スマートフォンに見えるから「スマホ石」という具合に、適当に名前をつけて売ってみたんです。一応作戦も考えて、一つメチャクチャ高い60万円の商品を作ったんです。馬に似ているから「赤兎馬石60万円」みたいな。その横に1000円の石を売ったら、安く見えて売れるんじゃないかと。

最初は府中で売っていたんですが全然売れなかったので、原宿に行ったんです。歩道の段差部分にブルーシートを敷いて並べたんですが、結局1個も売れなかった。少しでもちゃんとして見えるように、スーツまで着て行ったんですが。

余った石をどうしようかなと思って、試しに絵を描いてみたんです。100円ショップで油性マジックを買って自分で石にイラストを描いて並べたら、ソッコーで2000円で売れたんです。買ってくれた外国人観光客から「この石は友達のトムに似ている」とか言われて。

ただ、そのうち警察から注意され、「二度とここで石を売りません」という誓約書を一筆書かされてしまった。やむを得ずネット通販も試したんですが、石は送料が高すぎて上手くいきませんでした。

毎月1回「風呂場で除霊する」

――かなりシュールな活動でしたね。

青柳:しかも、その後は石の霊に取り憑かれてしまったんです。嫁と子供に高熱が続いておかしいなと思った時に、沖縄の霊媒師であるユタの末裔を自称する友人に見てもらったら「石の霊が腰に1人、肩に3人乗っている。勝手に石を持ち運んだせいで、石の怒りが家中に充満している」と。それで友人に除霊の方法を教えてもらい、どうにか調子が元に戻りました。

除霊というのは、鍋に湯を沸かして伯方の塩を大量に溶かし、浴びられるギリギリの温度になったら風呂場に持っていき、手を合わせて「石の霊さん、僕から離れてください」と言って頭から浴びるんです。今も毎月1回やっています。

リモートワークを経て一念発起

――今の活動を思いついたのはなぜ?

青柳:その後は芸能事務所の仕事を辞めてネット通販の会社に入ったんですが、入社して1年ぐらいでコロナが起きてリモートワークになり、家のなかで過ごす時間が増えたんです。そうすると、何かやりたいという思いがむくむくと芽生えてきて、同時にふとチョコレートをあげようとしたホームレスに対して抱いた疑問が蘇ってきたんです。

コロナでホームレスの人も増えるだろうし、話を聞くならこのタイミングしかないなと。それでAmazonでカメラを買って上野公園に撮影に行ったんです。もともと石の路上販売や芸人としての活動をYouTubeにアップしていたので、動画の撮影や編集には慣れていたのも大きかった。

続けるためにも「再生数を気にしない」

――これまでの取材者数は?

青柳:100人ぐらいです。週1本のペースで動画をあげて3年経つので、150本ぐらいになりました。アップのタイミングが少しでも遅れるとすぐに業者から「編集を外注しませんか」という営業メールが届くのですが、僕にとっては編集も楽しい作業なんですよね。

撮影した素材をどうやって組み合わせていこうかと考えるのは、お笑いの台本作りとよく似ているんです。20代の頃に憧れた映画作りの仕事にも近い部分があり、1本100円で映画を見まくった経験が、ここにきて生かせているとも思います。

――ユーチューバーとして気をつけていることは?

青柳:お笑いの動画をアップしている頃は、徹夜で編集して泥のように寝て起きて、さあどれぐらい再生されているかなと思って見ると、たった3回なんてこともザラでした。しかも、そのうち2回は自分のクリックですからね。結局、精神的にもすごく疲れてしまった。

その経験から、ホームレスの人を撮影する時は、「数字なんかどうでも良いからライフワークとしてやろう」と決めていました。本業として会社員の仕事もしていたので、収益化にこだわる必要もなかったんです。そしたら1本目の動画がすぐに500回ぐらいになり、その次もポンと数字が伸びたんです。

ユーチューバーって再生数に溺れそうになるところがあると思うんですが、だからこそ「再生数は気にしない」という思いが僕の根っこにあります。自分の知りたいこと、聞きたいこと、撮りたい人を優先しようって。でないと、継続できないと思ったんです。

あとは、取材対象がホームレスなので俺が幸せそうな姿はあまり出すべきではないだろうなと思っています。妻や子供と楽しい時間を過ごしている姿を出すことは、きっとみなさんを不快にさせるだろうなと。

新刊のテーマ「ネオホームレス」とは…

――著書に登場する「ネオホームレス」とは、どういう人?

青柳:帰る家がないわけではないけれど、色々な事情で路上生活を選んでいる若者がいるんです。金銭的な理由というより、家族関係の問題など、精神的な理由が大きいようです。一般的なホームレスとは違うジャンルの存在として時代性を感じ、書籍という形で掘り下げたいと思いました。

――家庭に問題があるというのは、虐待などですか?

青柳:実際に深刻な虐待を受けていたり精神的に傷を負っていたりする子がいるのは事実なのですが、一方では、客観的には普通の家庭に見えるケースもあります。ちょっとしたボタンの掛け違いから親子関係がうまくいかず、虐待を受けていると主張して路上生活を選ぶ子もいます。本当にさまざまなタイプがありますが、精神的に何か満たされていないという点は共通していると思います。

「ホームレスをバッシングする人」に思うこと

――ホームレスに対してネット上ではバッシング的な言葉も多いですが、どう思いますか?

青柳:動画のコメント欄を見ていると「社会的にちゃんとしているかどうか」という物差しでしか他人を測れない人が、今はすごく多いように見えるんですよね。

バンドマンや芸人をやっていた頃を思い出すと、ろくに仕事をしてなかったり社会人としては全然ダメだったヤツが、びっくりするほどかっこいいメロディーを鳴らしたり、ステージの上で観客を沸かせたりすることがありました。覚醒剤で捕まった経験のあるセクシー女優の女の子が、映像のなかで華のある姿を見せて輝く瞬間もある。

他人を評価する物差しは決して一つだけではなく、役に立つとか立たないという価値観とは別の物差しにも、目を向けてもらえたらと思うんです。そりゃ自分でお金を稼げれば一番良いんですけど、それがすべてではないんじゃないかなって。

別に大した能力がなくても、例えば「この人と話していたら落ち着くな」というだけでも、その人の持つ立派な価値だと僕は思います。最近は、動画を見た人から「世の中の見方が変わった」「知らない世界を教えてくれてありがとう」と言われることも増えてきました。最初は単純な好奇心から始めた活動だったんですが、今では世の中に伝える意義みたいなものも感じられるようになりました。

<取材・文/西谷格>

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抜粋終わり


上記文抜粋
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「みんな平等に」出社要請した会社のまさかの末路
「在宅引きこもり部下」に困った上司の最悪な対応
横山 信弘 : 経営コラムニスト

新型コロナウイルスの5類移行に伴い、原則出社を要請されたり、週1出社を求められたり、私たちの仕事の風景は大きく変わった。そんな中、在宅ワークを選択する「引きこもり部下」に関する相談が増えている。

単なる「在宅引きこもり」ではない。

自宅の作業スペースから、思いもよらぬ成果を出し続けるのである。そんな部下たちは、マネジャーたちの悩みの種だ。

在宅で仕事習慣のないベテラン社員たちは、どのように効率よく成果を出しているのか理解できないからだ。

出社を強いられる人から見れば「不公平」

ある製造メーカーの営業で、そのような「引きこもり部下」がいた。

この会社は、コロナ5類移行前から「基本出社」という方針を打ち出していた。ところがその部下は頑なに在宅ワークを続けると言って、応じない。

以前は成績が低迷していた。しかしコロナ禍になり、在宅ワークでオンラインを使った営業活動に慣れると能力が開花。顧客との効率的なコミュニケーションスタイルを自ら生み出し、今では部内ナンバーワンの営業成績をたたき出している。

上司が手をこまねいていると、同じ部署の部下たちからは、「不公平だ」との声が上がりはじめた。出社を強いられながら働く彼らから見れば、自宅から成果を上げる「引きこもり部下」は特権階級に見えるかもしれない。

「私も在宅ワークさせてください」

と言いだす部下が複数出はじめた。こうした現象に対し、組織の統率がとれなくなってきていた。この問題にどう対処したのか? そしてどんな結末が待っていたのか?

問題が深刻化すると、組織のマネジャーたちは会議を重ねた。本社の総務に問い合わせたところ、

「基本出社ではあるものの、組織ごとに柔軟に対応すべき。強制ではない」

という曖昧な回答が返ってきたからだ。

そして深刻な問題の解決に取り組んだ。その問題とは、「在宅で働く超優秀な部下」と「出社を求める会社の方針」の間のギャップであった。

最初は、「多様な働き方を推奨する」という会社の姿勢を肯定する声が多く聞かれた。だから、「強制的に出社させるのはどうなのか?」と疑問を投げかけるマネジャーもいた。

しかし、

「そうは言っても、在宅ワークは効率が悪い」

「見ていないと、家で何をしているかわからない」

という意見が増えていくと、次第に会社の新たな方針──「出社を基本とする」への転換を支持する声が高まった。

それらの声は、部署内で見かける不公平感、また組織としての一体感を重視していた。強くなる出社派の声に対し、在宅派の意見は少数派となり、結局、翌日から本人に出社を促すようになった。しかし、この意思決定は、想像以上に悪い結末を迎えた。

3年近く在宅で引きこもっていた部下は、渋々とオフィスに足を運んだ。しかし、彼が以前のように輝くことはなくなった。効率的に営業活動ができず、成績は下降していった。

さらに悪いことに、彼のやる気もみるみるうちに下がった。自宅で働くことができず、1日中人間関係に疲れ、業績を出すための自由な発想ができなくなった。

強制的にかごの中に入れられた鳥のようだと言えばわかりやすいだろうか。以前は、外を元気に飛び回っていた鳥だったのに。

この状況を目の当たりにしたマネジャーたちは、自分たちの決断がどれほどの悪影響を及ぼしたかを痛感した。

本来なら業績を引き上げるはずの優秀な部下を、ただの1人の無気力な部下に変えてしまったのだ。

忘れてはならない3つのパターン

今は多様性の時代だ。多様な働き方を認めるべきだという風潮は定着している。この会社も基本的な姿勢として「多様な働き方を推奨する」と明言しているのだ。

忘れてはならないポイントがある。次の3つのパターンが存在するということだ。

1、在宅だと成績優秀
2、在宅だと成績不振
3、どちらでも成績不振

これらすべてのパターンを把握せず、個人個人ときちんと向き合っているか。決めつけてしまってはいないか、ということだ。

在宅だと成績優秀だが、出社だと成績不振になる人は、集中力や時間管理能力が高い。逆に、人間関係や社内の雑務など、出社時の余計な負担がパフォーマンスを下げてしまう。

在宅だと成績不振だが、出社すると成績がアップする人は、人と直接会うことでモチベーションが上がったり、オフィスの環境が集中力を引き出すタイプだ。

どちらでも成績不振の人は、在宅でも出社でも結果が出せないということは、そもそもの仕事に対する意欲やスキルが足りないのかもしれない。おそらく基礎教育をやり直したほうがいいだろう。

このように、個人個人が違う背景や特性を持っている。それを無視し、全員を同じ枠組みに押し込めるからこそ問題が起こるのだ。ではどうすればいいのか?

筆者なりに考えた新しい時代にパフォーマンスアップさせる3つのアイデアを紹介したい。

働き方の選択肢を増やす、これが第1の提案だ。

現在は「在宅か出社か」の二者択一となっている。だから現場のマネジャーも迷うのだ。マネジメントのしやすさで考えてはならない。あくまでも「相手目線」が重要だ。

「ハイブリッド勤務」は多くの企業で採用されている。

ある日は在宅で、ある日はオフィスで働く。その日のタスクや状況、自分の心理状態に応じて働き方を選ぶのもいいし、社内行事に合わせて変えてもいい。

今回の「在宅引きこもり部下」のケースでは、部内会議、ミーティング、上司との面談などは、基本出社とすればよかったのではないか。たとえオンラインでできたとしても、あえてリアルで会うようにするのだ。そうすれば1週間に1度や2度の出社で済む。

次に、考えられる働き方は「時差出勤」だ。これは、全員が同時に出社するのではなく、個々の生活スタイルや効率のいい働き時間に合わせて出社時間を調整するやり方だ。

大人数がいる中では、過度にストレスがかかる人は多い。混雑する通勤時間を避けたり、自分の最も活動的な時間に働くことができるのは、大きなメリットになるだろう。

ムダにかかるストレスが減り、その分、仕事にエネルギーを注ぐことができる。

2つ目は「成果主義の徹底」

第2の提案は「成果主義の徹底」だ。

もちろん「成果第一主義」ではいけない。しかし働き方がどうであれ、最終的な成果に焦点を当てる働き方を望む声は大きい。

現代のビジネス環境は非常に多様だ。一企業が「基本出社」としても、取引先が同じ方針を掲げているとは限らない。この流れはアフターコロナでも変わらない。

テクノロジーの進化スピードは加速度的に速まっている。2~3年の間に、作業現場でさえリモートでできるようになる。

だから、それぞれがどのように働いているかではなく、最終的に何を達成するかに組織はもっと焦点を当てるべきだ。

なにより成果主義を導入することで、働き方の多様性と公平性を両立させることが可能になる。

つまり、自宅で働く人もオフィスで働く人も、結果を出せば評価され、そうでなければ改善を促される。

もちろん100%成果のみで評価すべきではない。成果評価だけでなく、能力評価、情意評価、この3種類をどのように重みづけするかを問うのだ。

第3の提案は「メンタルサポートの強化」だ。

多様な働き方を推奨した場合、メンタルヘルスの問題もまた多様化していく。そのため、企業はメンタルヘルスの専門家を雇う、カウンセリングの機会を増やすなど、心のケアを手厚くしなければならない。

例えば、部下が在宅で働くことを選択した場合、その部下が孤独感を感じ、ストレスを抱える可能性がある。また、オフィスで働く部下が在宅勤務の部下に対して不公平感を抱く可能性もある。

これらの問題は表面上は働き方の問題のように見えるかもしれないが、実際には深層心理に根ざしている。

今回取り上げたケースのように、大人数の人と触れていると、人一倍負荷がかかるという人もいるのだ。

日本のある大手IT企業がメンタルサポートの一環として「心の相談室」を設けている。この「心の相談室」では、従業員が自由にメンタルヘルスの専門家と話すことができ、悩みやストレスを相談することができる。

また、別の企業では、カウンセリングの機会を増やすために、全従業員に対してオンラインでのカウンセリングサービスを提供している。

以上のように、企業がメンタルサポートを強化することで、働き方の多様化による新たな問題に対応することができる。こうすることで、すべての従業員がより高いパフォーマンスを発揮できる環境を整えることができるだろう。

働き方を一律に制約するのは時代遅れ

働き方を一律に制約するのは、もう時代遅れだ。画一性ではなく多様性の時代である以上、働き方もまた多様であるべきだ。

そうでなければ、女性や高齢者の活躍促進など夢のまた夢である。組織マネジャーは、自分のマネジメントスタイルに部下の働き方を合わせようとすべきではないし、今いる部下だけに意識を向けるべきでもない。

相手目線に立ち、個人個人の多様性に向き合うクセをつけよう。これは、組織の生産性向上だけでなく、従業員の満足度や離職率の改善にもつながるだろうから。

新しい働き方を試行錯誤し、最善の解を見つけていこう。それが、これからの組織マネジメントのあり方である。

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抜粋終わり

まあ、自己責任って言われても、魚は空を飛べないし、人間は泥の上では生活できないように、他者に不適切な環境を強要して当然な日本社会では、成果を出せない人間が溢れるのは、当然の話。

「日本に生まれたのだから自己責任」ていうだろうし、「そもそも生きているから、殺人鬼に殺される。生きているのが悪い。自己責任」ってのが、自己責任論者だからね。



寝る前の暇つぶしに、これの新書版を読んでたりしてるけど。

そこで孟子は「万物が己の中にある」という言葉が出てくる。

それは「世界と、関係を持つ」ってことでもある・て。

仏教の華厳経の「帝網重々」ってのもわかるよね。


通俗道徳や自己責任論で「弱者」なり「不道徳な不遇な人」を切り離しても、それはせいぜい自分の意思なりの範囲での話。

世界との関係は、消えるわけではない。帝網重々だし。


通俗道徳で「自己の欲や怠惰」を切り離し「愚かさ」を学習によって切り捨てるのに、通俗道徳のいう「自己規律」なりは、役に立つ。

でも、それは「苦行」なり「辛酸」の話で、その「自己の欲や怠惰」とのいい関係を「楽しむ」ではない。
「自己の欲・怠惰」を、「通俗道徳」という「紀律」で麻痺させることで、切り抜けているのだ。

それは、同時に他者の「それもできない苦境なり障害」から目を背けることで麻痺をして、自己の正気を保つ。
それすら「わかってしまう」と、慈悲の心で耐え切れないか、自分の欲・正常な怠惰の心を押し殺していることの反動で、その人を攻撃せざろうえない精神状態になる。て私は考える。


そういえば、山上氏が、安倍氏を襲撃した事件で「貧困層が、こういう暴挙を働かないように、パチンコ漬けでもいいから生活保護を給付せよ」とツイートした人が居た。
結構な宅見に思う。





消えたツイートだけど

無敵の人対策は生活保護が最も即効性があります。
何故なら生活保護でパチンコに漬けこんでいれば、パチンコしたさに犯罪を起こさなくなるからです。
理由として犯罪を起こすとパチンコができなくなるからです。
生活保護は究極の治安維持装置なのです。
無敵の人に生活保護を

無論、就労復帰の支援も大事だが、愚生のように発達障害等で難しい場合もあるし、裨諶のように、特殊な環境也環境への配慮なくば、てんで役に立たない場合もある。

彼は騒がしい城内ではその知謀を発揮できない。鄭の執政子産は、一つ車に同乗し、郊外に出掛けて裨ジンと語り合う。裨ジンは静かな郊外ではいかんなく才能を発揮し、ことの善し悪しを的確に判断したそうです。

鄭国に諸侯の事(外交の政務)があると、子産はまず子羽に諸侯の状況を聞き、外交の文書を書かせます。次に裨諶と車に乗って野に出て、その内容の是非を確認し、馮簡子に伝えて決断させました。全て完成してから子太叔に渡して実行させ、賓客の対応を任せます。その結果、外交上の失敗はほとんどありませんでした。



そういう配慮ができるほどに、日本人の「組織統治能力・組織力」や「社会学的知見」のレベルが有るわけではない。

なんせ

「リモートで、一騎当千の営業成績を上げていた社員を「統制が取れない」て理由で、無理やり引きずり出してただの無駄喰らいに変えてしまう。」

てバカしか社会では就労できないのですからな。


自己責任論は、使用者側から見たら、都合がいいように見える。

でも、それが

いじめやパワハラは本来れっきとした犯罪だが多くは軽い処分や見て見ぬふりで終わる
そして心身に深い傷を負った被害者が学校や社会からドロップアウトし非正規や無職、生活保護に堕ちると過去の犯罪被害は無かったことにされ、かつての加害者・傍観者達に自己責任と罵られる

そりゃ、社会不信になるし、加害者側も次に被害者になることにおびえ、自分以外の被害者を続々と作っていくしかないようになる。
まあ「万人の万人に対する闘争」って奴。


通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。

 その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。


道徳が成功を保証するとは限らないし、努力も成功を保証しない。


それを「自己責任」って切り捨てた人や社会が、「無敵の人」に殺されても「やられ過ぎ」だけど、被害に遭遇する自体は、「自業自得の自己責任」でもある。
まあ、「自己責任」論って、全身麻痺の病にかかって死んでいるってことだ。



天皇の無い 蒼い空を取り戻す


慈悲と憐みに富む社会になりますように


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