自戒です。
より
上記文抜粋
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触おぢ
@AXv4075LUC78949
じゃねえよ
読み返しを現代風にやると「修正主義」にしかならんから、やってはならないのよ
解釈学も同様で「あくまでも過去の学者と見解を大前提」として、「現代を乗せる」ものでしかない
アンタら害虫は暇があれば奇抜な妄想に取り憑かれるな
午後10:26 · 2024年10月13日
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もっといえば、理系や文系なんてない
論理学や数理的考察方が出来ないなら、文章の整合性なんか成立するわけないし
単語や言葉の語彙・含意・意味合いが出来ていないなら、論理や数理的に説明できる文章になるわけがない
言葉に「隷属するアンタら害虫は『存在が悲惨』」だ
午後10:30 · 2024年10月13日
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抜粋おわり
言葉や論理の「厳密性」ってのを考慮すると、そりゃその通りですは・・・
文系・理系とかほざいている奴が、マトモな知性也智慧があるはずもない・・・って日本の知識人の大多数がそれ・・・て猿が「知識人」って自称しているのと同じ。
まあ、あと私自身はその
てたぶん私も、出来てない。
ので、薄氷を履むが如く、慎重にあるようにしたい・・・それくらいしか、浅学菲才の私にではできない・・
かくありたい・・・
もしかしたら「絶対的真理」ってあるのかもしれない。でもそれは「絶対」にわからない。。それは人間は「相対」でしか認識できないし感知できないから・・・
まあ、あるいは「すでに{絶対}なんだから、作為・思慮・認識した時点で、相対に堕する」かもしれないし、それはそれで、「絶対など分かりっこない」ってことだし。
まあ、それくらいに慎重でありたいです・・・
そうそうあとこれも・・・
より
上記文抜粋
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悟りと魔境
ガチの宗教者からの注意事項
ガチの宗教者は「神秘体験に騙されないで下さい。それは悟りではなく一定の身体に対する刺激や苦行等でわりと再現出来る事です。」って言ってたな
以上
皆様のお声
・千日回峰行を達成した塩沼亮潤和尚は、行の初期はよく幽霊に襲われ、中期はよく仏を見たと言ってたな。 なんでもない山道にキンキラキンに輝く仏や菩薩がぶわーっと浮いてるのを何度も見たと。 行終盤になったら、これが一転して忽然と何も見なくなったとか。
・F外より失礼します。なので、お寺の修行は必ず師匠(あるいは先輩)が監督につくと聞きました魔境にトリップして幻覚が見え始めたタイミングで警策でぶっ叩き、こっちへ引き戻す、と(坐禅で肩を叩くアレ)監督者がトリップから引き戻さない(むしろ背中を押す)宗教は気をつけた方が良さそうですね
・脳内麻薬でハイになってる、マラソンのランナーズハイみたいなやつですからなあ。お釈迦様も死にかけるような断食荒行ではなく助けてくれたスジャータさんが下さった乳がゆ召しあがって落ち着いてから悟られてるわけで、、、
・宗教の始まりは(苦行みたいな)極限状態における精神疾患を「天啓」だの「悟り」だのと解釈した事ではないか?という研究はあるみたいですねインドに至っては毒キノコでラリったのを「天国に行けた!」てなってベニテングタケが乱獲されたりしたとか…尚お釈迦様は苦行じゃ悟りを開けなかった模様
・苦行はむしろ悟りから遠ざかるって
・山登りで遭難した人はよく見るそうで。遭難したら暗くなると動くな、というのはそういうのに騙されて助かる命も助からないようにならない為。
·仏教で言う魔境ですねえ。魔境に至っただけなのに己は悟りを得たのだと勘違いして増長した者が天狗なのだとか。
・宗教が”科学”を認めているのが興味深いですね。
・苦行や薬物、外部の何かや非日常に頼って得られる悟りなんて、ゲタ履いてるだけですからね。
・真言宗の坊様曰く、「南無〇〇仏」と唱えながら立ったり座ったりする修行を不眠不休で続けると本当に仏様が見えるらしい。もちろんそれは幻覚だろうと思いながら聞いてた私。
・現代の一時期、LSDの神秘体験で人類は進化できるって主張があったけど、結局LSDで病院のお世話になる人が増えたし治安が悪化したりしたというのを思い出しますね。
以上
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抜粋終わり
これも大事ですよね・・・・
まあ「幻覚」がみえても、「神秘体験」をしても、それは悟りも救いでもない。。。
それを「肯定的」にとらえるとしたら、それだけ日常の感覚から離れてきた・・てだけ。
その「幻覚」「神秘体験」に囚われると、「家を出ても、また別の家に入る」「妄想から逃れても、別の妄想に嵌る」となりますからね・・