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崩壊と再生。


気になったので

これからの日本社会は・・・と易に聴いた。

略ゼン法で

地風升 上爻  



上六の爻は、升り進む時に当たって卦の極に居て、なおも升り進もうとする。
これは、名利に耽って止まることを知らない者である。
そもそも升るの道は、その節に止まるを貴しとする。
それでもなお厭うことなく、升り進んで止まり休むことを知らないのならば、それは升の道に冥(くら)いからである。
だから、升るに冥し、という。
升るに冥ければ、悔吝に至り凶害を得ること必定である。
常に貞正を心がけ、止まる時を知ることが大事である。
だから、不息るの貞あるに利ろし、という。

「のぼることに冥い(くらい)。息むことをやめ、正しい道を守っていればよろしい」
「地風升」とは「徐々にのぼり進む」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この上爻は、これ以上のぼるところはないというのに、止まることを知らない者です。
こんな考え方では凶に陥るばかりなので、改心して正しい道を守るなら禍を転じて福となすことができると言っています。

我利我利の欲を追い求めた結果。あと墜落するだけ・・・

まさに通俗道徳の末路・・・


 通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。

 その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。

通俗道徳は、人間を奴隷・鬼畜にする。

承認欲求が強いのは日本の教育が、次のような奴隷教育であることが原因だと思います。
・歯車として代替できる存在
・個性を殺す
・自分の頭で考えさせない(先生が教えたことを覚える)
・成績が良いと褒め、成績が悪いと叱る

 成績が良いと褒め、成績が悪いと叱る教育は「成績が良くないと価値がない」という自己肯定感を破壊する教育です。

高校時代は1番の成績だったのに、東大に入学したとたんに1番にはなれなくなるため、東大生は劣等感が強いといわれています。

 東大に入れないと価値がないという価値観も奴隷的です。何かを達成しないと価値がないという考え方が奴隷の考え方なのです。

 承認欲求と拝金主義が結びつくと危険です。お金を持ってない人は価値が低いとなるからです。

 本来、仕事の本質は自分の性格・才能・役割・ユニークさ・オリジナリティーを生かし、人や社会のためになることで対価を得ることです。

 承認欲求が強いと自分に合うかではなく、儲かるかで仕事を選択します。自分に合ってない仕事で自己中心に陥るために、社会に存在意義がなくなり自己肯定感はさらに低下します。


満足する。豊かさを他と享受する・・など、通俗道徳・天皇制・奴隷精神では、あり得ない。


まさに・・・

これは、名利に耽って止まることを知らない者である。そもそも升るの道は、その節に止まるを貴しとする。それでもなお厭うことなく、升り進んで止まり休むことを知らないのならば、それは升の道に冥(くら)いからである。

だ。



変卦は 山風蠱 


この卦は、敗壊の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。
また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。


儒家の解釈のはずなのに

父の過ちを糺す・母の過ちを糺す・・てある。

「父の蠱を幹す。子あれば考咎なし。厲うけれども終に吉」

「母の蠱を幹す。貞にすべからず」

「父の蠱を幹す。小しく悔あるも、大なる咎なし」


なら、天皇・国家の過ちを糾弾し糺すのは、当然の話。


まさに革命の卦でもある。まあその「旧弊一掃」の卦。


その上変は

「王侯に事えず、其の事を高尚にす」


「王にも諸侯にも仕えず、高潔にしている」
「山風蠱」の卦(か)は「腐敗を正す道」について説かれた卦です。
そんな中この上爻というのは、世の腐敗から遠ざかった賢人です。
腐敗した世にあって、王や諸侯に仕えることをせず、その心や行いを高潔に保っているのです。

社会全般を問うて、この文なら。

きっと「天皇が消え失せる」とみてもいい。
そもそも「天皇」があるから「王事」なのだから。それが消えると「王事」も消え失せる。

あるいは、「社稷~国家の独立とその国民と領域の維持」が消えることで、「王」が消える。すなわち「日本国の滅亡」かもしれない。

でも

腐敗した世にあって、王や諸侯に仕えることをせず、その心や行いを高潔に保っているのです。

腐敗した国家・天皇から解放され、日本人がようやくその驥足を世界に伸ばす!って吉兆かもしれない。

先日の占断も間違えでは無かったようです。


天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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