マトモでいるために大事な事。


上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:「壺丘子林」(出典:列子)に学ぶ「恐怖演出」に惑わされない心構え。
〇ワンワールド化工作は霊感商法の手口と同じである。恐怖煽り→“解決策”の押し付け。「先祖の祟りで不幸になると脅す→高額のインチキ商品を売り付ける」。「疫病や戦争の恐怖を煽る→世界政府を押し付ける」。しこたま恐怖を煽って要らない物を押し付ける手口。規模が大きい詐欺は詐欺と気付かれ難い。

〇「“疫病”の恐怖を煽る→パンデミック条約を押し付ける」「“世界戦争”の恐怖を煽る→世界政府を押し付ける」などという手口。次から次に脅威を演出して恐怖を煽り人々に自分で考えさせないようにする。恐怖で思考停止に導く。終末思想が思想ツールとして多用されるのは、恐怖を煽るのに適しているから。

〇「世界政府」の如き「要らない物」の代表は、平穏無事な状態では到底受け入れられない。そこで、「脅威」を演出し人々を「恐怖」に陥れる。而して藁にもすがる状態にさせる。「このツボを買うと不幸を回避出来まっせ」の手口。“コロナ禍”工作も第三次世界大戦煽りも、こうした霊感詐欺商法と同じだ。

〇「世界政府」の如き要らない物を売り付ける為の演出が、“コロナ禍”騒動であり、第三次世界大戦煽りであると分析する。要は、ツボを買わせる為に「祟られまっせ」「不幸になりまっせ」と恐怖を煽っている訳である。洗脳科学と言う程の事もない。只の詐欺師の手口。世界規模でやっているだけの話である。

〇最近は「恐怖社会」と呼びたくなる程、恐怖煽りが酷いと感じる。それだけ裏権力が2030年に向けてNWO化工作を激化させているという事だろう。要らないツボ=世界政府を売り付ける為に、詐欺営業を激化させている訳である。大きな嘘程バレにくいというが、世界規模の詐欺は詐欺と気付かれ難いのである。

〇適度な恐怖は危機回避能力と密接なので生物として必要なものであろう。野生動物に適度な恐怖心が無ければ生き残れないだろう。だが、人間は言葉や観念で物を考える故に、人為的に恐怖心が増幅される事がある。自然な恐怖心の範疇を超えて、恐怖にとらわれて自分で物を考えられない程になると危ない。

〇自然な恐怖心は危機察知や危機回避と密接である。例えば、「交通事故が怖いから安全運転を心掛ける」など。自然な恐怖心と煽られた恐怖心の違いの指標は「判断能力や独立的思考の妨げになっているか否か」だと考える。危機の察知・回避に資するのは「恐怖があっても、恐怖にとらわれない」事であろう。

〇恐怖にとらわれない勇気とは。列子の師の壺丘子林が人の運命を予言するという占い師の季咸と対峙したエピソードを思い出した。季咸は最初に壺丘子林の死を予言するが、壺丘子林の状態が次々に変化するので最後は予言を諦めて逃げ出した。恐怖にとらわれない者には恐怖煽りは通用しないという事だろう。

〇「必ずこうなる」と“予言”をかましてくる季咸に対し、壺丘子林は自らの状態を次々に変化させる自由自在な対応で相手を翻弄した。色々な解釈が可能な物語だと思うが、ここでは「恐怖に縛られて思考を停滞させるような事がなく、常に自分で考える者には恐怖煽りは通用しない」という教訓を読み取りたい。

〇“予言”攻撃を仕掛けてくる季咸に対して壺丘子林(列子の師匠)が自分の状態を変化させて自由自在に対応した事を、「恐怖に縛られて思考を停滞させるような事がなく、常に自分で考える者には恐怖煽りは通用しない」という風に解釈してみたが、補足したい。思考とは「動く」もの。「自分で考える」とは、

〇思考が停滞せずに思考が動いている状態と言える。これの逆が「蛇に睨まれた蛙」の如く思考が停滞してしまう事。壺丘子林は季咸の“死の予言”に臆する事無く、自由自在に対応した。「恐怖にとらわれない思考」をそこに見る。そこから「恐怖煽り」に如何に対抗すべきかの思考のヒントを汲み取った次第。

〇藁にもすがる状態で「世界政府」を渇望するのは、恐怖煽りに屈して思考を放棄してしまった状態と言える。人々をこのような状態に陥れる為に、息つく暇もなく「脅威」を演出し続ける。恐怖煽りに負け、恐怖にとらわれてしまった者は、毒だろうがチップだろうが体に打ち込み、NWO全体主義を受け入れる。

〇占い師・季咸の“死の予言”は個人の運命に関するものだったが、裏権力工作員が多用する終末思想では「人類又は世界全体」に対して“死の予言”をする。「このままだと世界は破滅だ」と脅し「助かりたければ世界政府を受け入れよ」と誘導する。個人単位でも集団単位でも「霊感商法」の仕掛けは同じである。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/1533301034248204290

(了)

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抜粋終わり


荘子 応帝王編  


上記文抜粋
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5.鄭(てい)の国に巫(みこ)(男の魔法使い)がいて,名を季咸(きかん)と言った。その巫は人の死と出生,存(寿命)と亡(破滅),苦と樂,人の命の長短,など何でも知っていて,精霊のように年を月を,十日区切りの日を,特定の日を予言できた。鄭の人たちは季咸を見かけると,何でも放置したままに逃げ出すのだった。
 列子は季咸に会いに行き,すっかりそのとりこになってしまった。帰ってきた列子は,壺子(こし)に季咸に面接したことを報告して言った,「先生,私はあなたの教えは完璧なものと思っていましたが,それよりすぐれたも教えがあると,はじめて知りました」

壺子はそれに答えて言った,「わしはお前にいろいろ教えてやったが,それはわしの考えておることの上っ面のことだけであって,深い精髄を教えていなかったが,それでお前はすっかり会得したと思っているのかね。多数のめんどりがいるとしてもだね,その中におんどりがいなかったら,どうして卵を得られるんだね。お前の考え方で世界に向き合うとき,お前は心にあるものをすべて表情に表してしまうんだ。だから,その人がお前の人相を読みとることに成功するんだよ。そうだな,その人をわしのところに連れてこいよ,わしをその人に見せてやるから」

そこで,その翌日,列子はその人を伴って壺子に会いにきた。二人が外に出たとき,その巫が言った,「ああ何と! あなたの師匠さんには死相がある。十日もしない内に死ぬでしょう」
 列子部屋に入り,泣きじゃくって涙で上着をぐしゃぐしゃにして,さっきの人が言ったことを壺子に語った。壺子が言った,「わしは大地の(地下の植生の)相を見せてやったんだよ。そこにある発芽の相には正常な生長の兆しは見えない,──彼には私に生の力の勢いが閉ざされているように見えたんだよ。もう一度彼を連れてきてごらんよ」

そうして翌日,列子はふたたび巫を伴って壺子に会った。二人が外に出たとき,その巫が言った,「あなたの師匠さんは私と会ったのが,とてもよかったのです。回復されるでしょう。生のサインが出てきました。私には生の芽生えが出て顔にあった死相が消えたのがわかります」
 列子は中に入り,師に巫のことばを伝えると,壺子が言った,「わしは彼に空の下の大地の相を見せたのだよ。わしが示したのは,仮相でも実相でもなく,生の勢いが足の下からほとばしり出てくるものだ。──彼は動きの一つ一つに活力のほとばしりを見たのだ。もう一度彼を連れてきてごらんよ」

翌日列子はふたたび巫を伴って壺子に会った。二人が外に出たとき,その巫が言った。「あなたの師匠の相は一定してはいません。わたしはあの人の人相が理解できません。あの人に,相が動かないようにするようにやらせてみてください。そうしたらもう一度見てみましょう」
 列子は中に入り,壺子に巫のことばを伝えると,壺子が言った,「今回はわしは彼に,二つの基本的力がどちらにも偏らない,大いなる調和の相を見せてやったんだよ。彼は平衡の中の活力のほとばしりを見たんだよ。水の渦が大魚ジュゴンの動きで回るところに深淵がある,またその大魚の動きが止まるところに深淵がある。水が流れ続けるところに深淵がある。それぞれ別の名前をもった九つの深淵があり,わしはその三つを示しただけだ。試しに,もう一度つれてきてごらん」

次の日二人はやって来て,また壺子に会った。壺子がいつもの自分の場所に落ち着こうとする前に,巫は我を失って走り出た。「彼を追え」と壺子が言った。列子はそうしたが,彼を掴まえられずに,引き返して,言った,「これでお終いです。彼はいなくなり,見失ってしまいました」
 壺子はおごそかに言った,「わしは彼に,造物主が私を生み出す前からの相を見せてやったんだよ。わしは彼に純粋な空虚さ,心を解き放ってとらわれない相に面と向かわせたんだ。彼はわしが見せてやったものが何かわからなかったのだよ。今や彼はそれが使い尽くされてしまった力の精髄であって,しかしなお今も溢れ続けていることを悟った,だからこそ彼は逃げてしまったのだよ」

これより後,列子は自分がまだ師の教えをほとんど会得していないと悟ったのだった。そして家に帰り,三年の間,外に出なかった。自分で妻のために料理した。豚を飼うのに人間を育てるかのように扱った。いろいろな物事に対して,手を下さず興味も示さなかった。自分自身をあれこれ吟味することをすっかりやめて,赤子のような素朴さにかえった。その立ち居振る舞いはさながら一個の土くれのようだった。あらゆる世事の中にあって,彼は黙して語らなかった。そのようにして,命が朽ちるまで態度を変えなかった。


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抜粋終わり

その翌日,列子はその人を伴って壺子に会いにきた。二人が外に出たとき,その巫が言った,「ああ何と! あなたの師匠さんには死相がある。十日もしない内に死ぬでしょう」 列子部屋に入り,泣きじゃくって涙で上着をぐしゃぐしゃにして,さっきの人が言ったことを壺子に語った。壺子が言った,「わしは大地の(地下の植生の)相を見せてやったんだよ。そこにある発芽の相には正常な生長の兆しは見えない,──彼には私に生の力の勢いが閉ざされているように見えたんだよ。もう一度彼を連れてきてごらんよ」

恐怖に心が縛られ挙句に身体も硬直すると、もしかしたら、予言通り死んでいたかもしれない。

けど

壺子が言った,「わしは彼に空の下の大地の相を見せたのだよ。わしが示したのは,仮相でも実相でもなく,生の勢いが足の下からほとばしり出てくるものだ。──彼は動きの一つ一つに活力のほとばしりを見たのだ。もう一度彼を連れてきてごらんよ」

そんなものくそくらえな壺子は、変化しそのような妄想に囚われない。


思考が停滞せずに思考が動いている状態と言える。これの逆が「蛇に睨まれた蛙」の如く思考が停滞してしまう事。壺丘子林は季咸の“死の予言”に臆する事無く、自由自在に対応した。「恐怖にとらわれない思考」をそこに見る。そこから「恐怖煽り」に如何に対抗すべきかの思考のヒントを汲み取った次第。


ワクチン・ウクライナ問題。

これで多くの日本人は、「蛇ににらまれたカエル」になって、特にワクチンで命を落としている・・・


〇藁にもすがる状態で「世界政府」を渇望するのは、恐怖煽りに屈して思考を放棄してしまった状態と言える。人々をこのような状態に陥れる為に、息つく暇もなく「脅威」を演出し続ける。恐怖煽りに負け、恐怖にとらわれてしまった者は、毒だろうがチップだろうが体に打ち込み、NWO全体主義を受け入れる。

〇占い師・季咸の“死の予言”は個人の運命に関するものだったが、裏権力工作員が多用する終末思想では「人類又は世界全体」に対して“死の予言”をする。「このままだと世界は破滅だ」と脅し「助かりたければ世界政府を受け入れよ」と誘導する。個人単位でも集団単位でも「霊感商法」の仕掛けは同じである。


見方を変えたり、姿勢を変えると、死ぬのでも何でもないことを、そのまま囚われて、死んでしまう。


でも、医療でも「セカンドオピニオン」を頼む。商品を買うときは、二三のメーカー也店で比較対処する。

でも政治や「大本営発表」や、「神様のご宣託」は、命に関わる事もあるのに、セカンドオピニンをしない、じっくりと比較や検証をしない。

て、こりゃ病気ですは・・。

まあ、天皇と言う「宗教」を信じているのだから、政治や国家は、検証などしないよね・・


なんかね、人のこと言えないけど、日本人て本当に幼稚だは・・・特に政治や社会に関しては、海外の幼稚園児の方が賢いかもね、天皇とか言う邪神を信じてない分な。



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