「血脈システム」あるいは「革命が存在しない」ことが、日本人の不幸の源泉。

より

上記文抜粋
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地方に必要なのは「下剋上」である

現在が「大乱」の時代であることは、「大原浩の逆説チャンネル<第1回・特別版>大乱の八つのテーマと対処法」などで詳しく述べた。
これからも、当分の間「八つのテーマ」を中心とした、大乱の時代が続くことはほぼ間違いないと言える。
歴史を振り返ってみると、「大乱」の時代と言える時期は少なくない。だが、もっとも大きな戦乱は、やはり戦国時代であろう。応仁の乱が始まった1467年から1615年の大坂夏の陣までのおおよそ150年間も続いた。
現在の日本の社会システムは、1603年に徳川家康が征夷大将軍に任命され江戸幕府を樹立したときから、明治に改元した1868年まで265年続いた江戸時代に形づくられたといえる。明治維新で「西洋化」されはしたが、江戸時代に確立した日本の文化はゆるぎなく継続した。
逆に言えば、戦国時代以前の日本のシステムは、現在の日本とはかなり異なったものであったということだ。
例えば、1588年に豊臣秀吉が刀狩り令を発布しているが、それが必要であったのは、農民などの庶民が武装していたからである。現在の米国でも個人での「武装」が認められているが、戦国時代は「西部劇の時代」の米国に近かったといえよう。
また、「下剋上」も戦国時代の特徴といえる。実力あるものが、身分や肩書など関係なく、既存の権力者の地位を奪い立身出世した。農民出身と言われる豊臣秀吉が天下をとったのが代表例である。
これからの日本においても、「下剋上」は極めて重要になる。現在の日本を覆う閉塞感は、5月20日公開「7公3民、21世紀のフランス革命は起こるか、そして5公5民の日本では?」5ページ目「日本では『世代間闘争』」で触れた「年功序列」という「身分制度」によるところが大きい。これを下剋上によって打破することが求められるし、「大乱の時代」には必然的にそうなると思われる。
この「年功序列」による閉塞感は日本全体を覆っているが、特に大きな問題となっているのがいわゆる「地方」である。年功序列の頂点に立つ「ボス猿」が、狭い「村型社会」を牛耳っているのだ。年功序列の底辺にあえぐ若者たちが、地方を嫌って東京などの「都市」に逃げ出すのも必然である。

地方の衰退が騒がれるが、問題の本質は「ボス猿を頂点とした年功序列社会の閉塞感」にある。この問題を解決しなければ、いくら小手先の対策を打っても焼け石に水である。

地方移住の地獄

もちろん、「地方」といっても千差万別であり、地場産業などで大いに栄えて風通しが良い地域も当然ある。だが、そうではない地域の方が圧倒的に多いから「地方再生」などという言葉が流行るのだ。「再生」しなければならないほど閉塞・疲弊した地域が多いということである。

横溝正史は、1902年に生まれて1981年に没している。Book series 昨年3月26日「横溝正史の作品一覧・シリーズまとめ【金田一の生みの親】」に彼の全91作品が掲載されているが、作品の登場人物である「金田一耕助」は誰もが知る存在であろう。

その横溝正史の作品の舞台には、しばしば「因習にとらわれた閉塞的な村」が選ばれる。

例えば「八墓村」は、萩原健一豊川悦治古谷一行などの主演で映像化されている。

また、犬神家の一族の中の、佐清(スケキヨ)の両足が湖から逆さまに飛び出している刺激的なシーンは、埼玉新聞2021年11月9日「何が起きた…カメラ向ける人々の先に、水面から飛び出た『逆さ足』 角川映画祭で職人ら設置、作品上映へ」というイベントでも話題となった。

「八墓村」の他、「本陣殺人事件」、「獄門島」などの作品は、戦時下に疎開した岡山県での風土体験を元に執筆しており、研究者の間では「岡山編」と呼ばれるそうだ。

もちろん、戦時下・戦前の話であり、小説であるから大いに脚色されているであろう。だが、それでも当時の「地方」の実態の資料となりえるのではないだろうか。

戦後78年が経ったが、少なくとも一部の地方には「因習にとらわれた閉塞的な村社会」が残っていることは、清水芽々氏の4月17日公開「59歳外資系勤務夫が51歳妻と地方移住も…『奥さんは働かないの?』近隣住民が向ける好奇の目に切り裂かれたメンタル」、同「『成金趣味』『地域の秩序を乱すな』59歳外資系勤務夫と地方移住した妻が直面した田舎暮らしの『やばすぎる現実』」を読むとよくわかる。

監視社会から若者が逃げ出す

2018年11月30日公開「政府主導のキャッシュレス社会は『デジタルファシズム』の前触れだ」、2021年3月2日公開「あなたも監視されている-このまま中国型監視社会に向かってよいのか」などで、「デジタル監視社会」の恐ろしさを述べた。

だが、地方では江戸時代の「五人組」(刀剣ワールド)に遡る、「アナログな相互監視システム」が機能している。五人組は連帯責任を負う仕組みなので、結果的にメンバーが互いに監視するという統治者に都合の良いシステムであった。

例えば、経営者の全国的な会合に地方からやってくる人々は、東京に到着すると「自由だ!」と大はしゃぎする。地元では名の知られた彼らは、前日どの店(場所)にいたのかが翌日には村(町)中に知れ渡っている。彼らの自家用車のナンバーを多くの人々が知っているからだ。確かに息がつまる。

地方から若者が出たがる理由はたくさんあるが、もっとも大きなものは「自由が無い」ということではないだろうか。言ってみれば「アナログ・ビッグブラザー」=「ボス猿」が村(町)を支配しているということだ。このような閉鎖的・封建的な社会で底辺に位置する若い女性が、都会に出たがる気持ちはよくわかる。

高齢の既得権益者=ボス猿が牛耳るような世界が発展するはずがない。3月16日公開「日本は高齢者だけのものではない、多数派の横暴は許されるのか?」で述べた問題は、地方に凝縮しているように思える。

村八分を恐れない若者による、5月6日公開「バンクシー、『銃を使わない革命』を目指すアーティスト」のような「非暴力・不服従」活動による「下剋上」が必要だ。しかし、彼らにとっては「都会に出る」方が簡単な選択であるというのも事実だ。

とにかく、若者が脱出したいような場所で、都会からやってきた人間が定住するなどというのは幻想だ。

ふるさと納税の効果は検証すべき

2008年5月から始まったふるさと納税はもう15年になる。私にはただ漫然と続けられているように思えるが、費用対効果を検証すべきだ。

各市町村は返礼品競争を始めとして「金集め」には必死だが、その集めた資金で地域を「活性化」することにはあまり興味が無いようにも思える。実際「金集めキャンペーン」の話をよく聞いても、その資金によって具体的に地域が活性化した事例を聞くことはほとんど無い。

せいぜい返礼品を扱う企業が儲かる程度ではないだろうか。そして、それらの企業と「地域のボス猿」との関係も不明だ。

過去を振り返れば、国民の血税を湯水のごとくつぎ込んだ「農業活性化政策」が大失敗に終わったことは明白である。農政ならぬ「ノ―(NO)政」という言葉が生まれたほどだ。

それどころか、農家を「補助金漬け」にして改革への意欲をそいだ。つまり、補助金をバラ撒く「ノ―政」が日本の農業を駄目にしたともいえる。

ふるさと納税も、結局は、都市の人々が汗水流して働いて納税した金額から「横取り」している状態に過ぎないといえる。効果的な目的に使われているとは思えないからだ。

つまりふるさと納税が、皮肉なことに、地方の地盤沈下をさらに加速させているともいえる。

もし、ふるさと納税を効果的に使いたいのであれば、返礼品などやめて、納税者にその資金がどのように使われ、どのような貢献をしたのか「報告」すべきである。ホームページに掲載すれば事足りるからほとんどコストがかからない。

はびこる利権と他人頼みという原因を解決しなければ

結局、地方が発展しないのは、何かあったらコンサルや中央政府頼みという依存体質=自助努力の欠如と、年功序列の上に胡坐をかいた「ボス猿支配」に原因があるのではないだろうか。

例えば、中央が地方にバラまいてもボス猿が懐に入れるだけである。本来恩恵を受けるべき、肝心の子ザルには渡らない。これは、発展途上国への援助が、現地の腐敗した政治家や役人の懐を潤しているのと同じ現象だ。

このような現状を見ると、戦後の「公職追放」のような大胆な政策が必要にも思われる。当時公職を追放された人々が本当に戦争責任を負っていたどうかは別の話だ。しかし、高齢の既得権益者たちが居なくなり、若手が活躍したことが日本の目覚ましい発展を促したのは否定できない事実である。

年齢で区切って一律に仕事をやめさせる定年制度については、2019年1月25日公開「バフェットが実践する『実力主義の終身雇用』こそが企業を再生する」で述べたように、原則反対だ。しかしボス猿が支配する世界においては、年齢で区切って「公職追放」を行うことも是認されると考える。

農協、郵政の改革も必要

このような地方の「閉塞社会」を支えているのが、役所、自治会などであるが、JAや郵政事業も大きな役割を果たしている。

2019年8月8日公開、荻原博子氏「かんぽ不正、マスコミがなぜか報じない『郵便局の深すぎる闇』の正体」5月18日公開、窪田新之助氏「ついに支店長が自爆営業を強要…職員が決死の覚悟で明かす『JAのノルマ地獄』のヤバすぎる実態」などの問題が後を絶たないのも「閉鎖社会」の影響だ。

それぞれの組織がボス猿に支配された閉鎖社会であるのと同時に、その組織が基盤とする地方を中心とする地域も閉鎖的であるという「二重の閉鎖社会」が、顧客の利益や公益ではなく「閉鎖社会の身勝手な論理」がまかり通る原因である。

このような社会では、「天井」を打ち破る「下剋上」無しには、どのような改革も「絵に描いた餅」になる。

「下剋上」こそが地域活性化の切り札に思える。

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抜粋終わり

地方の「ボス猿支配」は、天皇制のミニチュア版



血脈システム~天皇の、最大の問題は「革命が無い」ってこと。

革命が無いのは、、「その地位の職責が、明確ではない」ってのも大きい。

だから「天皇」は生き延びてきたのだが、その「地位で為すことの責務」など無いから、それを政治のトップ也象徴にしたら、「で、国家には国民には責務など無いので、日本人を戦争で殺しまくっても、天皇には責任など無い」
てなったわけで。

結局は「天皇」そのものが、日本の最大の厄災で、非人道の権化に過ぎない。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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