日本人は奴隷人・・・平等主義がお嫌い・・・。

 より

上記文抜粋
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「家族制度」から見た日本と中国

私の研究テーマでもある「家族制度の重要性」、永続的な家族の価値の重要性といったことに関係しています。

つまり、組織化された社会で続く家族の価値であり、それは伝統的な農民家族が消失した後も存続するのです。中国の家族、伝統的な中国の農民の家族は、権威主義的であり、非常に強い父親がいますが、同時に兄弟間で平等に相続するというルールを持つ平等主義でもあります。それは強い父系でした。女性に比べて、男性を非常に重視します。

一方で、日本の伝統的な家族制度は直系家族制と呼ばれ、伝統的に長男の相続でした。中国ほどではないが、権威主義的でした。これは社会人類学者が常に指摘することですが、中国の家族よりも権威的ではないものの非平等主義です。日本の家庭では、兄弟は同じ価値ではありません。

これは両国の社会の権威主義的傾向を説明するとともに、中国が権威主義的で平等主義的な共産主義を生み出したという事実と、日本が移行に際して階層社会を生み出したことを説明できます。

日本は近代工業社会やポスト工業社会に、より容易に適応しました。

今、中国にあるのは、国民を制御するための最新の技巧です。顔認証があり、インターネットがあり、最先端のあらゆるツールがあります。しかし同時に、中国には、権威主義的および平等主義的な家族の価値が存続していて、彼らの社会的価値にもつながっています。

中国について考えるとき、中国が経済的に成功したせいで、中国は極めて同質的であると考えるかもしれません。また、中国は完璧な権威主義システム、または世界で最も権威主義的なシステムとも表現されるでしょう。しかし、中国の指導者たちはそう見ていません。

権威主義的な中国で人々が決起する?

彼らは中国が強い平等主義の価値観に基づいて、共産主義革命を起こしたことを覚えています。これらの平等主義的な価値観がまだそこにあることを知っています。

中国の社会には公正を求める要素があります。中国の指導者たちは常に、人々の決起の可能性を考慮に入れておかなければなりません。

これは、中国を統治することが非常に厳しい理由の1つだと思います。それは内向きのもろさがあります。

もう1つ、付け加えておきましょう。中国はすでに、人口の中に相当数の高学歴層がいるということです。この状況は西洋のどこにおいても、伝統的イデオロギーの解体をもたらしました。多くの人は知らないでしょうが、私は高等教育を受けた人々が人口のうちの25%を占めたことが、ソ連で共産主義が崩壊した本当の理由だと考えています。

私は1988年のデータを持っています。当時のソ連の国勢調査によると、高等教育を受けた者の割合が25%に達していました。そして、1990年にシステムが崩壊したのです。

中国は、今のところまだこの水準(25%)には達していませんが、中国の将来について考えると、政治的バランスと民主主義の将来という観点から相反する2つの力があると思います。

一方には、中国の文化と革命の伝統として、平等主義の要素があります。もう一方で、高等教育を受けた人々が増えています。中産階級と呼ばれる層です。この階層の比率が、共産主義崩壊直前のソ連と同じ水準に達しようとしているのです。

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抜粋終わり

まあ、中国人が権威主義ってのは、間違い。

なんせ、あの人らは、天皇だろうが皇帝だろうが、悪政をすると平気でぶっ殺して落とし前をつける。

名誉革命とかほざく英国人・欧米人など及びもつかない「平等主義」で「非権威主義」である。

あと

彼らは中国が強い平等主義の価値観に基づいて、共産主義革命を起こしたことを覚えています。これらの平等主義的な価値観がまだそこにあることを知っています。

中国の社会には公正を求める要素があります。中国の指導者たちは常に、人々の決起の可能性を考慮に入れておかなければなりません

何回も易姓革命や、民衆蜂起で皇帝が殺されたかをみたら、一目瞭然。

そう考えると・・・

一方には、中国の文化と革命の伝統として、平等主義の要素があります。もう一方で、高等教育を受けた人々が増えています。中産階級と呼ばれる層です。

て考えると、日本の知識人には「平等主義」など皆無かわずかしか無いのが明白にわかる。

明治以降となると、それは残酷で、「保守」とか言いながら「統一教会」とかの売国宗教を応援したり、「リベラル」とか言いながら「ソロス財団」とか言うテロ組織を支持する。

多少日本には文化の力がある。

でも

優れた将軍は兵と同じ待遇でなければならないとされる。食事も兵士と同じでなくてはならず、すべての兵士が休むまで休んではならないのだ。そしてその通りに、皇帝でありながら兵士と同じく自ら武器を取って戦ったのが劉秀である。皇帝であるよりもまず将軍として生きた劉秀は、平等であることこそが人の能力を最大に発揮できることを知っていたのである。


人にもし立派な振る舞いをさせたいのなら、まず立派な人物として扱い、立派な人物であるという自覚を与えることである。相手を悪人であると見なして応対すれば、相手は悪人として振る舞うし、有能な人として応対すれば有能に振る舞う──これは心理学でいうピグマリオン効果として知られているものであり、集団に対したとき明確にあらわれる効果である。
 すなわち、祭遵は兵士を立派な士人として扱うことにより、兵士に志と自覚を与えその質を高めたと考えられるのである。だからこそ、祭遵の指揮がなくとも自らの意志をもって戦うことができたのであろう。

人間を平等に扱う・尊厳を尊重する。それが無いと、如何にすぐれた文化でも、それを十全には発揮でないのではないか。

チベット仏教という、けた違いにすぐれた宗教思想をもっていたチベットが、たかが共産主義ごときに国家が滅ぼされたのは・・・チベット仏教でも救われなかった多くの農奴・下層の人たちを、共産主義国家が一時的でも救えたからだ・・・仮にチベットが儒仏体制也で農奴制を脱していたら、共産中国に併呑される屈辱を免れ得たかもしれない・・
それだけ「人間の平等」は、尊く、すさまじい力を発揮するのだ・・・共産主義ごときで、最高の仏教思想国家のチベットを鎧袖一触できたのだから・・・


それから見ても、天皇カルト日本も滅亡も、指折り数えて待つだけである。。。。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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