ナチュラルケア

こんにちは。おはようございます。

ヨガ講師を生業としていきたいなと思っている者です。
淡路島で意外と忙しく過ごしています。

今日のタイトル、ナチュラルケアってなんだか意識高そうなフレーズに惹かれてクリックしちゃった方、先に言っときます。ごめんね。
全然為になるような話ではないよーーー!ってことだけお伝えしておくね。

私は地元が沖縄ということもあって、結構自然療法とかなじみ深くて好きなんだけど。
え、なんで沖縄はそうなのか?って?
なんか昔からおばあとかおばさんとか、母親もそうなんだけど。
薬とか使わずに怪我とか病気とか、あとアレルギーなんかを自力で治そうとする節があってさ。
代表的な治療法は、「海水に浸かる。海水を塗り込む」。これ。これに限る。
皮膚に湿疹とかできたときはだいたいこれ。あとアロエ塗る。すごい~ナチュラルケア!

今日はその沖縄人のとんでも自然療法について。
私、小学四年生の時。そう忘れもしないあの台風の日。
母が用事で島外へ二泊ほど、留守にしたあの日。(私離島の出身ネ‼)
おばさんの家に預けられていてね。
新築ピカピカなお家だったんだ。お風呂入ろうぜ~っつって
ルンルン、人様の新しいお風呂、見慣れないシャンプーにルンルンお風呂タイムルンルンピッ♪していていてさ。それまでは良かったんだ。
さあお風呂から出て、今日は厳しい母の干渉がない!いとこたちと遊ぶぜふっふ~つってな。
勢いよくお風呂場を出た。そう、その日は風の強い台風の日—。
バァン・・・!!
大きく閉まるドアの音、後方に感じるなんだろ、違和感
ルンルンしすぎたのか・・・その瞬間まったく意味が分からなかった・・。
前に進みかけた体が後ろへ引き戻される。
反動で振り返った先には、新築ピカピカのお家のお風呂場のドアに挟まれている私の指。

んのぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!

なになになになに!
パニック!ぱぁにっく!ぱぱぱぱぱにっく。

急いで体をひねり、右手でガシガシとドアのぶを回す。開かない!
ばっちり、ドアの一部と化した人差し指。

そのドア横の洗面所で眉をそっていたおばが、かみそりをもつ手を止め、
目だけでこちらに視線をよこした。

んのおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!
え怖い、おばさんの顔めっちゃ怖い!

「あんたよ!はい!何!あぎぎぎぎgg!!あがいたんぢ!っっ!」

そんでね、新築の綺麗なうちを血で染め上げてしまったわけなんですが。
そこからが大変だったんだよ。
そう、OKINAWAN自然RYOUHOU。これがやばかった。今思い出しても「おいよ、おばさんよ!何かこれは!」といえる案件。

そこから私は祖母の家(おばあやあという)に移動した。
なぜか病院ではなく、祖母の家。
痛がる私に添い寝するおば。
「大丈夫か。」
「痛い」

どんな処置をしたのか、果たして何かしてくれたのか、もう覚えてはいないのだが、とにかくそばで寄り添ってくれていた。
「大丈夫、寝ていたら治る。」そう励ますおば。
たまにおばあが心配して「何か食べれ」と声をかけるも、痛すぎて食べる気力もない。なんだか寒くて震えていたことだけは覚えている。

次の日、仕事が落ち着いた父がおばあやあに迎えにきた。
父はとても厳しく、少し怖い存在だった。(当時は)
何か怒られたりしないだろうか、嫌だな、という気持ちと、お父さんが来たという少しの安心感。
「どれ、大丈夫か。」軽い傷だと思っていた父。
傷を差し出す。
「おい、これは病院だ」
傷口を見て驚き、少し怒った父は、直ぐさま私を病院へ連れ出した。

何か言いたげなおばを横に、私は父に連れられ市内の整形外科へ向かった。

病院につき、先生に「なんですぐ来なかったの~。痛かったでしょ~」と
笑われた。すごく優しい先生だった。そう言葉をかけられて、なんだか恥ずかしいような、怒りたいような、悲しみにも似たなんだか不思議な感情でいっぱいになった。

その日は台風の後で、けが人が多く、先生はとても忙しそうだった。
「麻酔してから縫っていこうね~」
そう言って先生は皮膚がべろんととれた指先に針を向けた。
生まれて初めての麻酔はとてもとても痛かった。なんだか心もチクリとした。
一生懸命世話してくれたおばと祖母になんだか申し訳ない気持ちが沸き上がり、落ち着かなかった。

麻酔をし、「効いてくるまですこ~し待っとってね~」と言い残し、
先生は他の患者さんのもとへ急ぐ。
優しくて腕も立つ先生。まして先生は一人。忙しいのもよくわかる。

しばらくしてやっと戻ってきた先生。
処置を始めてくれた。
「なんでもっと早くーと来なかったの~」とちょっぴり怒られながらも和やかに進む処置。
縫っていくにつれて、おや、なんだか違和感。
ちくちくぬいぬい・・・ん?おやおや。なんか痛い。
先生、あのさ、多分だけどさ。
麻酔切れてない?
長らく待たされて、麻酔の効果が薄れていったのだと思う。当時小学4年生。変なところでシャイだった私は、そのことを先生に告げられないまま、最後の一針まで耐え抜いた。

「何かあったら今度はすぐ来るんだよ」
そう言われ、もう来たくないと、心底思った。


今でも左の人差し指には、この時の縫い跡が残っている。

私も例にもれず、自然療法が大好きな大人へと成長した。なるべく自然に、薬や病院に頼らず、自己治癒力を高めるような生活を心がけている。
でも、大人になった今ならわかる。
ドアに挟まれたあの怪我は、絶対即、病院だった。
大きくなり、なぜ病院に行かなかったのか、当時の話をおばに聞いてみた。

「いや、あの傷なら自分が家で治せると思った」

ああ、私の自然療法生活もまだまだだな・・・と。
沖縄人のナチュラル志向マジリスペクト。
・・・精進します。


そしてお父さんありがとう。


ちなみにおばはバリバリやり手の大手保険会社の支部長。(当時)

今もすごく健康的な生活している。
おばさんとのトークは面白くて大好き。


もう戻れない、幼少期。
幼い自分の浅はかな知識と交差する感情。
楽しいよりもどこか胸がきゅうっとすることが多かった。ような気がする。
あの頃の自分を思い出す。そんな人差し指の傷。



読んでくださり感謝します。
またぜひ来てください!
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