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すべてのひとに石がひつよう 展へ

今日は2人でヴァンジ彫刻庭園美術館へ。
「すべての ひとに 石が ひつよう」が3/29まで開催されており、開催前から週に一回はこの展示のことが頭をよぎっていた。

僕は普段から山仕事のために山に入っているんだけど、夕日を毎日美しいと思っているように、山にいる存在たちの、特にテクスチャに、気を抜くと仕事をしていることを忘れるくらい心を動かされる美しさを感じる。
巨大な岩が傾斜地で静止している姿は抗えないパワー、畏怖や神聖さを感じる。岩はある種人体でいう骨のよう。スペーサーとして構造を構成して、周辺には循環が生じる。
果てしない時間、風化しながら形を保つ石たちは、ある種の情報を保持している。
巨大な岩を目の前にした時、自分自身が変質している。思考や感覚、自己イメージに至るまで。
その感覚を体感するたびに、環境と人、石と記憶、形について思いを巡らせる。

ヴァンジ彫刻庭園美術館は、まさしく石の空間だ。時間の流れ方が変わり、神聖な静謐さが空間を満たしている。
美術館は大体石でできているところが多い気がする。それはヨーロッパの建築へのオマージュだと勝手に思っている。だからどの美術館も石のエネルギーに包まれる。ヴァンジ彫刻庭園美術館は、そこに対して意識的で、だからこそ石的要素が濃密で、建物内にあるヴァンジさんの謝辞的な文章に書いているように、良い空間、良い静謐さのある空間だ。


入り口にある大木達美さんの彫刻作品。カッラーラの白大理石、イスラエルの石が組み合わさっている。イスラエルの石はすでに風化したように彫刻されていて、古代文明に作られた神殿のような神聖さを讃えている。カッラーラの石は乳白色に淡い光を放つ宇宙船のよう。ほんの小さく空いた穴に意識が集中する。
自分の意識と、彫刻作品の神聖さがその小さな穴に凝縮される。それは一神教的な神性の現れと、”今”という時空間、そして時空間を超えたものに形を与えているような、とても強い何かを放っていた。

作者は、「この時代の良きもの」を形にしたいというモチベーションで作っていたらしい。この美術館の名前にもなっているヴァンジさんも同じく、「良きもの」について言及していた。
良きもの。彼らはそれをどのような気持ちを込めて、言葉にしていたのだろう。
それは正しさと言われるものではないように思う。石という存在が、言葉にならない形で、良きものについて語りかけている。
ヴァンジ美術館、そしてこの展示はそういうものに心を開くような時間だ。

閉館時間ギリギリに訪れた僕らは、この入り口に置いてある作品の前に足を止めて、次の作品に動き出すときには閉館時間10分前を回っていた。

もう一度行こうね、と言い合って美術館を出たときには、数千年、数万年の人間の歴史と、数千万年、数億年の石たちの時間が、僕らの周りを取り巻いているようだった。

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