見出し画像

安心した暮らしの移動可能性、そしてサウナ

 僕たちは大体家という動かない箱の中に住んでいる。箱にはガスや、水、お湯や電気がつながっていて、暮らしに困ることがない。僕らはそんな暮らしの基礎になる箱を持っているから、安心して仕事をしたり遊んだりすることができる。
 逆に言えば災害の時のように、多くの人は箱と、箱に繋がっているガスや電気、水道などの管がなければ、仕事したり遊んだりするための安心は失われてしまう。そして、そこから復旧するまで生き延びる方法が防災でありサバイバルだ。防災やサバイバルは生き延びる方法であって、暮らしではない。僕らはインフラのないサバイバル状態に対してとても脆弱で、水や食料、安心して寝る場所を受動的に提供してもらわなければ暮らしを確保できない可能性が高い。

 最近ブームになっているキャンプは、その「安心した暮らし」と「生き延びる」の間に位置している。キャンパーを見ていると、結構しっかりと道具を揃えて、気持ちよく、楽しく過ごすことを指向している。そこには居住スペースであるテントと、調理などのための火があり、快適に寝るための寝具がある。ガチキャンパーのようなストイックさを求めるよりも、安心して暮らせる箱を外に移動させることにエネルギーを注いでいるように感じ、そこにとても可能性を感じる。
 安心の移動可能性が高まれば、災害などによって動かない箱が壊れてしまったとしても、どこででも食料や水、寝る場所を確保して、サバイバル状態から暮らしへの復旧に対して主体的に関わることができる。仕事や遊びなどの暮らしが断絶することなく、サバイバル状態になってパニックに陥るようなことも少なくなるのではないだろうか。そのことを踏まえると、日本でキャンプをするという意味合いが高くなるように感じるのは、僕だけじゃないはずだ。

 ガチキャンパーのストイックさは、違うレイヤーでとても興味深い。サバイバル時への対策というよりは、いにしえへの回帰という文脈の中でストイックさは深まっていくように思う。いにしえへの回帰とは、場にあるものとのより深い対峙、ものや場とのより深い関係性への回帰であるように感じる。
 簡単に言ってしまえば、さまざまな場所から暮らしに必要なものを採集するアンテナの感度と、その技術が高い人々だと勝手に認識している。ただ、災害時に関して言えば山の中で暮らすわけではないので、どちらかというと路上生活者の人々の方が市街部での採集スキルは高い可能性がある。

さて、キャンプだけでは足りないものがある。それは風呂だ。風呂に入らなければ衛生的じゃないし、暮らし感がなくなってサバイバルの方に寄ってきてしまうが、風呂は持ち運べない。と思いきや、最近持ち運べる風呂がブームになっている。
サウナだ。サウナ最高。僕は伊豆の川沿いで月に一回は必ずテントサウナをやっている。いつやっても気持ちいいし、運搬も簡単だ。そしてサウナは歴史的に見ればお風呂と言っても全く間違いじゃない。知らない間に、安心した暮らしの移動可能性はテントサウナの出現によってさらに高まっている。

さて、僕はサバイバルからの主体的な復旧のための重要なピースである、テントサウナに入ってなんやかんや過ごすような日を、伊豆で毎月開催しています。
alaharasuyafoのインスタグラムでたまにアナウンスしていますが、クローズドなイベントなので、参加したい方はインスタグラムにDMを送ってください。
素晴らしい川に飛び込める幸せを一緒に味わいましょう。

https://www.instagram.com/alaharasuyafo/


この記事が参加している募集

みんなの防災ガイド

防災いまできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?