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白磁のアイアンメイデン 第2話〈4〉 #白アメ

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 疾走する馬車のはるか前方、悠然と横たわる国境の大山脈のふもと。落ちかけた陽に照らされて妖しげな色に染まる巨大な門と、その左右にそびえる高壁。その高壁の上には、少なくない武装リザードマンが立ち、武器を構える。ヘリヤの入手した地図には記されていなかった代物、大要塞だ。

 馬車はまっすぐに、正面の大門に向かって突き進む。目的地、”忌み野の竜”の眠る地は進路直上。おそらくは大要塞の中心だ。ということは、あの要塞を突破しなければたどり着けないということ。子供でもわかる理屈だ。

 前方の要塞、後方の緑竜。何かの箴言にできそうだ。

 頭に思い浮かんだそんな考えをヘリヤは即座に打ち消した。のんきな事を考えている場合か、迫り来る脅威から逃避しているんじゃない!

 だが、実際どうすれば―――「手綱は緩めず、そのまま! まっすぐに願いますわ!」

 凛とした声が、馬車の屋根からヘリヤの耳に届く。ベアトリスだ。

「いいのか本当に!」「ええ、構いませんわ!」

 薄暮の”忌み野”に響く、一欠片の焦燥も感じさせぬ声。何か策でもあるのだろうが、信じたものだろうか。そこまで考えを巡らせたヘリヤの顔に、不意に笑みが浮かんだ。

 迷うふりはやめろヘリヤ。正解が出ているのに迷うなど、学究の徒らしくない振る舞いだぞ。今、この場で正しいのは、間違いなく彼女だ。ならば。
「よし」覚悟を決めた顔で、ヘリヤは叫んだ。「あんたを信じて、つっこむぞ!」

「よろしくお願いいたしますわ――さて」
 ベアトリスはそう言うと、手に持った鎖に手刀を叩きおろした。キン、と乾いた金属音をたて鎖が切れる。ベアトリスはそのままくるくると舞い、両腕に鎖を巻き付けていく。黄昏時に似つかわしくない、暁光じみた金色に光る鎖――ベアトリスの”気”が込められた鎖を。

 金の鎖を両手からだらりと下げ、馬車の後方に目を遣る。四足の緑竜が、生き残った十体ほどの騎乗リザードマンを引き連れ、今にもこの馬車に食らいつかんという勢いで迫りつつあった。

 十体。でしたら十回は『跳べる』ということですわね。
「いただいた信頼には、お答えしませんと」

 軽くステップ。「淑女がすたると」弾けるように跳び出す!「いうものですわ!」

 跳んだ先には一体のリザードマン。ベアトリスは空中で右腕を振るう。腕に巻かれた鎖がその動きに合わせ、弧を描いてリザードマンの首に絡みついた。リザードマンの首を回転軸とし、三日月の軌道で大きくスイング。遠心力で加速。緑竜に迫る。

 リザードマンの頚椎が砕ける音と、充分に加速が乗った蹴りが緑竜に叩き込まれる音が重なる。よろめく緑竜。緑の血を吐き、魔獣から転がり落ちるリザードマン。

 ベアトリスは左腕を振るう。別のリザードマンの胴に絡みつく鎖。左手を引く。ベアトリスの体が横向きに飛ぶ。その直後、先程までベアトリスがいた空間を、即座に体勢を立て直した竜のあぎとが襲った。だが遅い。ベアトリスはリザードマンの顔面に無事着地、反動で宙に躍り上がる。高速回転。

 虚しく宙を噛んだ緑竜、その目に映るのは黄金の旋風。そこから放たれた二本の鎖が、緑竜と、足場にされたリザードマンの横っ面を張り飛ばした。

 げぺ、と謎の声を上げつつ吹き飛ぶリザードマン。緑竜はわずかに動じたのみ、すぐさま空に舞うつむじ風を喰らわんと伸び上がる。

 だが再び、ベアトリスの体は竜の視界から消失する。それに気づいた瞬間、今度は下方からの一撃が竜のあごをしたたかに打った。のけぞる緑竜。

 ベアトリスは両手の鎖を自在に操り、空間を立体的に駆ける。円弧の動き、直線の動きで緑竜を翻弄していた。仇を捉えきれぬ怒りからであろうか、緑竜は大気を震わす叫びを……

 ……上げそうになるのをぐっとこらえ、ヘリヤは手綱を握りしめていた。疲れを知らず疾駆する二頭のオートマータ馬の勢いは止まらない。止めようとしていないのだから当然だ。

 しかしこのままでは、程なくこの馬車はあの大門に正面衝突。まさか、そうやってあの大門を突破しようというのか。しかしあの威容だぞ。いくら頑強なオートマータ馬といえども、ただ真正面からぶつかるだけではどうしようもあるまい。そもそもそんなことをして私は平気でいられるのか。信じると決めてはみたものの、本当に大丈夫か。大丈夫なのか。

 そんなことをぐるぐると考えていたヘリヤの目に、要塞の高壁上に並び立つリザードマン達が巨大な射出装置――この馬車に備え付けられていたバリスタに似た、だがあちらは一度に圧倒的本数の矢を射出するタイプのようだ――をずらりと準備し、照準をこちらに定めている様子が映る。おい、そんな、まさか。このままだと、矢の雨の真っ只中に突っ……

 ……込んできた緑竜を空中で体をひねってかわし、ベアトリスは最後の「足場」に鎖を放つ。だが流石に学習したのか、鎖を放たれた騎乗リザードマンは体勢を低くしこれをかわした。空中で体勢を崩すベアトリス。そこに緑竜の幾度目かのあぎとが迫る。

 そのときベアトリスが見ていたものは、だが竜ではなく、馬車とその前方にそびえる要塞の門であった。

『お嬢様、そろそろ頃合いかと』
「ええ、そのようですわね。フローレンス!」
 空中で無理やり体を回転させ、緑竜のあぎとを寸前でかわしたベアトリスは叫んだ。「どうぞよしなに!」
 薄暮の”忌み野”に、響きわたる声……

 ……を聴覚機構で捉えた瞬間、馬車内でちょこんとおとなしく座っていたフローレンスはバネのような勢いで動き出した。【チチチ】顔の光点が激しく明滅する。向かうは馬車の前方、御者席だ。

 【チチ】御者席へと続く扉を開け放つ。吹き付ける突風が馬車の勢いを物語る。フローレンスは怯まず、御者台で手綱を握るヘリヤの横に近づいた。

「なんだ!? どうしたメイド!」突然の闖入者に、もともと無い余裕がさらに薄れていくヘリヤが叫んだ。それには答えず、フローレンスは迫る前方の要塞、そびえ立つ門、そして幾多のバリスタからついに射出された幾千の矢の雨を見た。遅れてヘリヤもそれを見た。その瞬間からヘリヤの時間が、ノロノロと進み始める。

 ああ、人は死を目の前にすると、脳の働きが一時的に活発になり、このような境地に至るのだと、聞いたことがあるな。いや、本で読んだのだったか。まあどちらでもいいな。すごい矢の数だ。これは助からない。私は死ぬのか。何ということだ。

 その時、視界が黒く染まった。鈍く進む時間の中で、それが隣に立つオートマタメイドの構えた黒い日傘だと気づいた瞬間、豪雨が傘を叩くような爆音がヘリヤを包んだ。

 音。音。音。音の濁流に飲まれながらヘリヤはのんびりと思考する。なるほど、降り注ぐ矢を日傘で防いでいるのか。毎度のことながら、一体何処から出したんだ。いや、ちょっと待て。そもそも矢を防げる日傘とはどういうものだ。そんな物があるはずがないだろう。とはいえ、実際に目の前に存在しているではないか。あるがままを受け入れるのも、魔術師には必要なことではないか。まずは受け入れ、それから検証する。それこそが真理の追究者たる者の取るべき姿勢だ―――うむ。そんな事を考えている場合ではなかったな!

 そこまで思考したところで、雨音はやみ、ヘリヤの時間は元の速度に戻った。

「な、ああ!?」いまさら叫ぶヘリヤを尻目に、フローレンスは日傘を閉じると、御者台に備え付けられたツマミのうち、右端と二番目のものを弄った。

「何を」言いかけてヘリヤは執事の言葉を思い出す。つまみを弄るな。特に一番右端のものは。それはなぜだ? ヘリヤの顔から血の気が引き始めた。

 そんな即席御者の青い顔など意にも介さず、馬車は変わらず駆け続ける。だが馬車を牽くオートマータ馬、その二頭には劇的な変化が起こっていた。

 全身を体内からせり出してきた重装鎧が覆い、その脚さばきがさらに力強さを増す。金属音を響かせ、一角獣を思わせる角が頭部に生えた。右から二番目のつまみ、突撃形態(チャージ・スタイル)だ。金属の角を激しく回転させながら大門に突貫する二頭。

 ヘリヤはフローレンスを見た。フローレンスもヘリヤを見ていた。「おい」ヘリヤがおそるおそる口を開く。「お前がさっき触っていたつまみ、た、たしか自爆……

 ……装置の作動を確認いたしました』今はベアトリスの頭部装甲である執事が、主の耳元で報告した。

「ええ、それでは」最後の足場リザードマンの頭部に立ちながら、ベアトリスは応える。迫る緑竜の牙。ベアトリスはひらり空中に躍りだし身をかわす。ふぎ、という妙な悲鳴を上げながら、リザードマンが緑竜の口に飲み込まれた。

 その口を、ベアトリスから放たれた金鎖が二重三重に拘束した。緑竜は首を振り回し抵抗するが、鎖は食い込んで離れない。

「そろそろ仕上げと参りましょう」

 そう言い放つと、ベアトリスは鎖を持ちながら前方に回転跳躍。久しぶりの地面に降り立つと、体を捻りつつ満身の力を込め鎖を引いた。

 緑竜の体が浮く。ベアトリスは鎖を手放す。

 緑竜が飛んだ。
 否、投げ飛ばされた。

 そのまま夕闇の空へ吸い込まれていくかのごとく思えた緑竜の体は、しかしながら大地のくびきから逃れること能わず、美しい放物線を描きながら落下点へ近づく。

 落下点。すなわち要塞の大門の直前に。

 大門が緑竜の落下の衝撃で揺らぐ。その緑竜に二頭のオートマタ馬の回転角が突き刺さる。フローレンスがヘリヤを童話の姫君よろしく抱えて跳び出す。そして馬車の自爆装置が激しい閃光とともにあたりを吹き飛ばした。

 爆風のあおりを受けながら跳ぶフローレンスの腕の中で、またヘリヤの時間はゆっくりと流れていた。その視界にベアトリスが映る。

 金色の光に包まれたベアトリスは、”忌み野”の大地に立ち、いまだ止まぬ爆発を見据えていた。見据えながらゆっくりと左手を前に突き出し、右手の拳を後ろに引く。腰を少し落とし、静かに息を吸い、息を吐く。彼女の体を包み込む金色の光がその輝きを増す。

 ベアトリスは両の足を踏みしめる。踏みしめた両足を捻りこむ。捻りは内功の輝きとともに足を伝い、腰を伝い、肩を伝い、腕を伝い、そして。

 神速の速さで突き出された右拳より、巨大な拳状の気が放たれた。

 これぞ薫風(クン・フー)奥義、獲麟(かくりん)。「世の終わり」を名に持つ絶技。

 突如、爆炎の中から血まみれの緑龍が躍り出た。躍り出た途端、黄金拳の直撃を受け首から上が消し飛んだ。要塞の大門と高壁が多数のリザードマンを巻き込みつつ崩落したのと、ほぼ同時であった。

◇ ◇ ◇ ◇

「ご無事で、いらっしゃいまして?」
 そう言いながら歩み寄るベアトリス。すでに装甲は解かれ、元どおり組み上がった執事が傍に控える。
「ご無事だよ。だからできれば、早くおろしてほしい」
 少々焦げ目のついたフローレンスに抱えられたまま、ヘリヤは答えた。まったく、まるで赤子のようではないか。

 「おっと」地面にやさしく降ろされたヘリヤは、体の埃をはたき落とすと、フローレンスに向き直った。「ああ、その、何だ。助けてくれたことには、礼を言うべきだな。ありがとう」

 言いながらヘリヤは、そもそもこのメイドが自爆装置なんぞ発動させなければ、こんな目には合わなかったのでは、という小さな疑問をいだき、その疑問から目を背けた。熟考するには精神が疲弊しすぎていた。

 【チチチチチチチチチチチチ、チチチ】途端にフローレンスの顔の光点が、今までにない勢いで明滅し始める。「うわあっ!?」

 「あらあら」ベアトリスが面白そうに笑った。「こんなにも照れたフローレンス、始めてみましたわ」

 照れているのか。

 少々嫌な予感を覚えたヘリヤだったが、その予感からも目を背けた。もういい、今日はあまりにも疲れた。”忌み野”をさまよった辛く苦しい二週間、その辛苦は、彼女らと出会ってからの半日間であっさり塗り替えられたようだ。

「さて」
 ベアトリスは両手を顔の前で叩く。ぽん、と間の抜けた音がする。
「このまま”忌み野の竜”の寝所に雪崩れ込む、と行きたいところですが」
「行かないのか」
「ええ、まずこの格好ですもの」
 ベアトリスはドレスのスカートを軽く指でつまむ。ずたずたに切り刻まれたそれはむしろ、「元」ドレス、といったほうがふさわしい状態であったが。ヘリヤは所々から覗くベアトリスの白い肌から目をそらす。
「たとえ叩きのめし踏みつけるお相手とはいえ、流石にこれでは礼を失しています。淑女に許されることではございませんわ。」
「さっぱりわからん」「それに何より」「何より?」

 ベアトリスは高らかに宣言した。
「事を起こす前には一杯の紅茶。これなくして、何ができましょうか!」

 ヘリヤは膝から崩れ落ちた。

「……さっぱり、わからん。まさか今、ここで飲む気じゃないだろうな。竜の目の前だぞ。そんなに紅茶が好きなのか。少しは我慢出来ないのか」
「ええ、なにせわたくしの体には紅茶が流れておりますもの。さあアルフレッド、お茶の支度を!」

『お嬢様、ティーセット一式は馬車と一緒に吹き飛んでおりますが』
「まあ」

 ――その後、アルフレッドが呼び寄せた馬車二号機(曰く、同じものがあと七台あるらしい)に搭載されたティーセットで、無事に一行はお茶にありつくことができたのだった。

第2話 「淑女がすたるというものですわ」 完 第3話へ続く

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ