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”漢字” ”ひらがな”の起源

私たちが日常的に使用している文字は

「大昔に漢字は中国から伝わってきた」

「ひらがなは平安時代くらいにできた」

というようなことは、皆さん何となくご存知かと思います。


しかし、何でできたの?どうやってできたの?
ということまではおそらく知らないと思います。

(実は私もよく知りませんでした。)

ただ、書道を長年やってる身としては、話のネタとして知っておいた方が良いと思ったので、せっかくの機会なので調べてみました。どこまで正確にあっているかわかりませんがご覧ください。

■漢字の起源
最初の起源とされているのが、中国が殷の時代(紀元前)の時です。

その時は、今使っているような文字ではなく
甲骨文字と呼ばれる亀の甲羅や牛の肩甲骨などに彫られた文字でした。

言い換えると、これは”象形文字”(→形を象った文字)です。
また、この文字は宗教的な意味合いが強く、一部のお偉いさんしか使えない秘密の記号のようなものでした。

それが、何やかんやで1000年くらいの期間を経て、甲骨文字から”表意文字”(→意味を表す文字)に変化していきました。各地域で独自の発展をしていき、地域ごとに別々の字体が使用されるようになりましたが、中国で初めの統一国家として秦という国ができ、秦国の始皇帝が”小篆(しょうてん)”と呼ばれる統一文字を作りました。(”篆書(てんしょ)”とも呼ばれています。)小篆には、宗教的な意味合いが取り除かれ、その後東アジアに広がっていきました。

しかし、統治国家である秦で小篆が使われる中で、現場にいる役人たちが事務処理などを行っていく中で、「この文字、複雑すぎて使いにくくね?」と思ったのでしょうか、形を崩したり、簡素化したりを繰り返したことで”隷書(れいしょ)”という文字が生まれました。これが紀元前7世き〜紀元前2世紀くらいの出来事です。

その後、さらに時が流れて6世紀〜10世紀(南北朝〜隋・唐時代)に”楷書”ができました。楷書は私たちが日常で使ってる文字です。(ちなみに、楷書が生まれる前に、”草書””行書”が生まれてます。ですが今回は長くなるので割愛させてもらいます。機会があれば書きます・・・)


■ひらがなの起源
日本に漢字が使われるようになったのは4世紀末〜5世紀初めと言われています。学校でも習ったことのある「白村江の戦い」で倭の国(日本)が朝鮮に出兵しましたが、唐・新羅の連合軍に負けました。それがきっかけで、政治的に中国からの独立し、天皇という称号、日本という国号が確立されました。この時に、国を作る上で手本にしたのが中国の文化です。中国の文化をお手本にしたので、ベースとなるのは中国語や、中国文学。そのため、それらを扱うことのできる僧侶は当時最高の知識人でした。

しかし、次第にその語を漢字の読み方ではなく、自分たちが日常で使う話し言葉の音に置き換えて理解したい、と思うようになり「翻訳」することにしました。

例えば、中国語だと「春」は「chun」と読みますが、
中国語の「chun(春)」は日本の言葉では「ハル」と同じ意味。
だから「春」と言う漢字は「ハル」と呼ぼう。というような形で話し言葉を当てはめました。

これがいわゆる”和訓(訓読み)”です。
これを優先的に使うことで、次第に定着していきました。

一方で、同じ頃に漢字の音を利用して
「はる(春)」を「波流」
「なつ(夏)」を「奈都」
など、宛字で表現をされていきます。

これは、音を借りているだけで、元々の漢字の意味とは全く関係ありません。
このように、元の意味と関係のない音や訓を利用して表記に使った漢字のことを”万葉仮名”と呼びます。

仮名・・・仮の名
その言葉の通り、仮の名だったから、仮名って言うんです。

そして、この万葉仮名がくずされて、”草仮名”という書体ができました。
そして、さらに”草仮名”をもっと簡略化して、原型を留めないほどくずしたのが”平仮名”です。
(きっと毎回、一つずつ丁寧に書くのが面倒だったんでしょうね。)

例えば
「あ」は「安」

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「い」は「以」

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「う」は「宇」

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写真の引用:書体辞典 かな -付 名家作品集- (出版:株式会社 野ばら社 )

写真にある文字がそれぞれの語源です。いろんな書き方があります。これら”ひらがな”ができたのは平安時代。

ちなみに、語源と関係のない漢字が写真にいくつか含まれています。これらも”ひらがな”です。今は一切使われていませんが、「お寺」とか「石碑」とかで見かける全く読めない文字が正にそうです。(また、いつかご紹介します。)


■”漢字” ”ひらがな”がどうやって民衆に広まったのか?

ちなみに、今と同じように一般人が「漢字」「ひらがな」を混在して使うようになったのは鎌倉時代だと言われています。

この時代に、”和讃”と呼ばれる仏教の教えを七五調の文章で説いた歌を親鸞や日蓮などの仏教者によってたくさん作られました。和讃は、漢字や平仮名、片仮名で綴られ、それを流れの良い口調で読んだことで民衆に広げていきました。これによって、貴族や知識人のみが扱っていた文字から一気に大衆に広がり浸透し、それが今でも使われているようです。


ざっくりと(ざっくりになってませんが)まとめたので誤記があるかもしれませんが、こんな感じで今、私たちが使っている文字はできたようです。

つまり、「TTPA(徹底的にパクってアレンジ)」して、「書くの面倒だから、楽するために省略しようぜ」って感じで作られた、ってことですね。

昔も、今もやってることって変わらないんですね。


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