見出し画像

「モブたちはどう生きるか」

個人史的な話をすれば、「耳をすませば」こそが「君たちはどう生きるか」という問いに対するアンサーだった。

「あなたは素敵です。慌てることはない。時間をかけてしっかり磨いてください。」

その時の宮崎駿は、そして近藤喜文は、当時の若者達へ向けてまだ「労働せよ」とまでは宣っていなくて、あくまでも「悩め」とだけ添えて、祝福した。

約30年経って今作を観て、結構笑った。

「もう時間がない」

誤配も誤配。当時若者だった私はもう「君たち」では当然なく、脳内の予測変換には「モブたちはどう死ぬか」という文字列がサジェストされる。

いや笑ってる場合じゃないんだが。
でも面白いんよなぁー、やっぱ変やわこの人。観念的な問いを続けながらも、肉を切る感触や帆を立てる過程などの具体的な労働を通して「体験と感触」を捉え直し、また別の、ゼットやアルファと名付けられた子どもたちを、それでもやはり、祝福する。

岡田斗司夫とかがする"考察"に意味も意義も感じない私のような人間はもう本当にいよいよ「お呼びでない」のだろう。

その後のNHKの特集で、宮崎駿にとっての高畑勲の巨大さが、自分の想像以上だった事を知る。

そこで一層、余りにも早かった近藤喜文の死を悼んだ。

モブはモブなりに生きる事にする。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?