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心の存在

今という現在はテクノロジーによってあらゆるものが、履歴として残り、テクノロジーの中で可視化できるもの、あるいは数値化できるものを、データとして活用できるものを重要視している。

人の欲望の多くがデータとなり、履歴になり、数値化できるようになってきた。


しかしそんな中でも可視化したり、数値化できない数少ないものの中に、僕らが心と呼んでいるものがある。


近年あらゆる不便や不満がテクノロジーによって解消されていき、一昔前の嬉しいや有難いが当たり前になってくると、心を感じるのは、肉体的にそれをリアルタイムで体験している時か、エラーやミス、うまくいかなかったとき、新しい不便や不満と言ったネガティブな方面になることが多く、それもまた慣れてしまえば感じなくなってしまう。

無意識でいると少しずつ心の存在を忘れがちになってきているように思っていたが、先日心の存在を感じた出来事があった。


それは、『会いたい』と言われたときだった。

実際に会う日に、または会っているときは心の存在は感じるはずだ。
なぜなら目の前にいて、時間を共にしているから。

けれど、今会えるわけではないし、具体的な日付を決めたわけでもないのに、『会いたい』と言われただけで確かに心が動いて、心の存在を確かに感じることができた。


アイデアより行動の時代に、会う日付を決めたり、実際に会うことといった行動にはもちろん力があるし、とても大切なことだ。
けれど今日思ったのは、『あなたに会いたい』ということばそのものをまず伝えるということにも人の心を動かす力がある、ということがわかった。


いつどこで何時にする?
の事務連絡の前に、たまぁーに『会いたい』を入れてみるのはどうかな?という提案でした。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
あなたのまた会いたい人はどんな人ですか?

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