じぶんだけだと思う苦しみ
かつて書いたことだと思うけど、また書こうと思います。
小学生の時、ボクには悲しい日や気分が優れない日、死ぬのがこわい日だったり、じぶんなんて消えてしまえばいいのに。と思う日なんかもあって、浮き沈みがある子どもだと思っていました。
そう思っていた一番の理由は同級生の子ども達がみんな元気いっぱいに遊んでいるように見えていたからです。
じぶんにだけ悲しみや死を意識する時間がある。
そう思っていたんです。
でもそんなある日。
サッカーが好きで運動も得意なクラスの中心人物のA君と二人で遊んでいると、A君がポロリと呟いた。
キミは落ち込むこととかあるの?
A君から見たら、ボクはテンションがいつも一定で上がることも少ないけど、下がらないのがすごいと思っていたらしく、それを聞いてみたかったと話してくれた。
ボクはこの言葉に救われた。
いつも明るい人気者だって悲しいこと、イヤなことは当然ある。
じぶんだけが悲しいわけじゃない。落ち込むわけじゃない。
悲しんでいるじぶん、落ち込んでいるじぶんを、まぁいっかと許せるようになったのは、A君も落ち込んでいるんだぁーと知ってからだった。
そしてもちろんボクも落ち込んでいるし、気分が乗らない日もあるよ、とA君に話したことでその後ボクらは今までより親しくなった。
お互いの存在がじぶんだけだと思う苦しみからは、まず救ったのかもしれない。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
じぶんだけだと思う苦しみは確かにありますよね。
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