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夫婦別姓

昨日、選択的夫婦別姓の訴訟の判決があり、地裁では敗訴、サイボウズの青野さんは控訴を決定し、高裁で争われることになるとのこと。

この話題を僕はわりと人前で話す。
でも夫婦の同性、別姓、どう思いますか?
と聞かれたら、「どっちでもいい」し、「二人の好きにすれば?」というのが本音だ。

むしろこれ以外に答えようがない。

だが世論は、同性だ!!!いや、別姓だ!!!となるもので、こちらを立てるとあちらが立たないとなる。

専業主婦と働く女性にも同じ構図が見える。
昭和の大量生産の時代、専業主婦が当たり前で、働く女性は独身か貧しいか、能力が高いかなど理由は何にせよ、圧倒的に少数派だった。
そして時代が移り、女性も働くのが当たり前になりだすと、専業主婦の肩身が狭くなる。

これもその家族、各々の関係性、個人の考え、その人の特性、いろいろな形があって良いと思うし、グラデーションや真ん中や混ざり合うなど様々で、みんな違う形で良いし、みんなそれぞれでそれぞれが素晴らしいではないか、というのが僕の意見だ。

ここでも、「どっちでもいい」し、「二人(各々)の好きにすれば?」なのだ。

僕はどこかで、豊かさや幸せって、「選べること」だと思っているふしがある。

偶然貧乏だと医学部に試験で合格すること以上に、通い続けられるかと不安を感じて受験する前から選択肢から除外している可能性もあるし、自分に自信がないと好きな人が出来ても自分には無理だ、と可能性を信じることができないので行動を選べない。

貧乏な家柄だと医者にはなれない。
こんな自分ではあの人に相応しくない。
結婚したら夫婦は同性を必ず名乗らなければならない。
女性は結婚したら、必ず専業主婦になること。

当人や周囲、社会の思い込みや決めつけによって、本当は選べるはずのことを選べていないのだ。

結婚だってまずそもそもしてもしなくてもいいし、今の名字が良ければ、そのままでいいし、結婚した人の名字が良ければ名乗ればいいし、専業主婦というライフスタイルが良ければすればいいし、働きたければ働けばいいし、半々でも7:3でも9:1でも好きにしたらいいと思う。

どちらでもどのバランスでも、そのこと自体に意味はなくて、わたしがそうしたいと思うものを「選べること」が大切なのだ。

今回の青野さんの訴訟は僕は、「選べること」を選ぶための訴訟だと思っている。
そして僕は「選べること」が豊かさや幸せと関係していると思っているので、切に世の中に選択肢が増えて欲しいと願うばかりである。

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