あらゆるもののリミット
割れないモノで飲む。
ということを続けていると、あるとき割れるモノで飲む。
ということをすると、身体が緊張していることがある。
背筋が伸びているというか、仕草が丁寧になっているというか、少なくとも割れるモノの影響を受けている、と感じることがある。
それは今この瞬間にも壊れてしまう、失われてしまう可能性のあるモノだという意識がそうさせるように感じる。
なるべく壊れにくいモノを、壊れても替えのきく同じモノを。が続くと、この緊張感を味わうことは稀になるし、最終的には感じ取れなくなってしまう。
人は目の前のものが、失われてしまわないように、変わっていかないことを願ってきたが、それは多くの場合叶わず、経年による変化で、あるいは何か偶発的な出来事やそもそものリミットを迎え、最後には手からこぼれ落ちていく。
これは悔しいし、悲しい。
だがそのリミットがあるという意識があるからこそ、気付けること、見えるもの、できる所作、書けること、話せること、行きたい場所、やりたいことなどが浮かび上がってくるとも思う。
あらゆるものは有限なのだと、いつかは終わりが来るのだと、腹落ちして、納得して、願望と向き合い、選んで、それでも進む人の姿勢は美しい。
そんなことを割れるモノに触れることが思い出させてくれました。
というお話しでした。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
じぶんも有限で、リミットがありますからね。
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