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休みの解放感

明日が休みだという休みの前日。
あるいは休みの当日というのは、人々は解放感に包まれる。

そして休みが終わってしまう気配が匂いたつ時間になると、サザエさん症候群のように人の気持ちの解放感は失われていく。


それってなんなんだろう?と思ってきていたが、今回の騒動で多くの人は休みという状態にあると思うのだが、いわゆる休みの解放感というものを、多くの人から感じない。


つまり仕事に行かない、仕事をしないということがイコール休みということでは、どうやらないらしい。


ではあの解放感は何から来る解放感なのか?


それは、じぶんでじぶんのしたいことを選び取りたい時間を選べるからなのではないか?


昼過ぎまで寝ることも、夜更かしすることも、誰と会って、どこに行き、どのように過ごすかも、何を食べ、何を飲んでも、そして普段通り過ごすことも、また何もしなくてもいいことも含めて、選べる自由に人は解放感を覚えるのではないか?


それは飢えや寒さ、外敵の存在はありながらも、どこで何をしてもよい、流れ流れる狩猟採集の時代が長かった人類には、じぶんが何をするか選べるということはかつての喜びを思い出す極上の行いなのかもしれないと、緊急事態宣言の街を見ると、その中で突然できた休みを過ごす中で思えてくる。


休みの解放感は、何をするか選べるという自由なのだと。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
なので仕事と休みの区別自体がないような方は、それをすることをじぶんで選べている人なのだと思う。

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