子どもが大人に近づくとき
子どもが大人になるというのはサナギが蝶になる。というのとは少し違う。
大人と呼ばれていても、子どものように振る舞うときもあれば、子どもでもまるで大人のごとく振る舞うこともある。
しかしそういう中でも子どもがハッキリ大人に近付いたと感じられる瞬間がある。
それは、「親は(じぶんより先に)死ぬ」と認識したときだと思う。
僕は小さい頃から落ち着いているとか、大人みたいね、と言われることがあったけど、きっとその理由はこのことに起因しているのではないのかな、と思っている。
小学校二年生のときに父と母は離婚したが、父の性を名乗り、父の祖父母たちと二世帯で暮らすという生活スタイルは、これまでと変わらず生活を続けることになったが、僕には「じぶんのいえ」という感覚はなくなった。
どこか居候のような所在のなさが付きまとったのと同時に、母が死んだらじぶんはどうなるのか?というのを、じぶんが死ぬこと以上によく考えていたように思う。
摂理で言えば親は先に死ぬ。
しかしそれをほんとうにじぶんの感覚として理解するタイミングというのは、人によって様々だと思う。
家を出たタイミングかもしれないし、結婚、出産、誰かの葬式、もしくは訃報の瞬間、あるいはその後かもしれない。
しかし誰しもがむかえるであろうその日。
その日に人は何か大きなものを失うかわりに、何かを得てもいる。
そういう複雑な思いを全部分かろうとはせず、そういうものを抱えて今日も生きていく。
それが大人って呼ばれるものの姿なのかしら?
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
最近観たジョジョラビットって映画で、じぶんがお母さん目線だったのは驚いた出来事でした。
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