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すばらしき世界

映画『すばらしき世界』を観ました。


あらすじは、出所した元殺人犯・三上は、保護司の庄司夫妻に支えられながら自立を目指していた。そんなある日、テレビディレクターとプロデューサーがとある内容で、彼にテレビ番組のオファーを持ちかける。それは、社会に適応しようともがく三上を捉えるというもので……



このようなところから、物語は始まる。



ボクらはこういう時、じぶんとは異なる世界、人の話として観てしまいがちだ。


しかしボクはじぶんの中にもあるものを、たくさん作品の中に観た。



違う人、世界が異なる人には見えなかった。


その引かれている線の曖昧さをこの映画にはとても強く感じられた。



そこからFilmarksというアプリにいつも映画の感想は書き記すことにしているのだが、そこに書いたことをシェアしたいと思って、コピペした。




社会は分断されている。
普段そう聞くと頭では理解できるが、体感としてはピンと来ない部分がある。
そのピンと来ない部分とは接する機会の無さ、知らなさである。

そしてその知らなさとは、知らないだけではなく、知りたくないこと、可能なら忌避したいものでもあるところに、分断と言われるものの残酷さが垣間見える。

「ほんとうにサポートが必要な人は助けたい人の格好をしていない」とはよく言われるが、気付くと一人ぼっちになってしまうものなのだろう。


この社会で生きづらさの根源にあるものは何かと言えば、映画ジョーカーでも描かれていたが繋がれなさ、繋がりの無さだろう。

そしてかろうじて持っていた繋がりが一つまた一つと失われていく時、絶望しかけた時に、それでも誰かと一緒に居られる力、差し伸べられた手を信じることは、どんな人にもきっとむずかしく、同じ立場になれば、主人公三上と同じように振る舞ってしまうだろうというリアリティがこの映画にはあった。



もしみなさんが年末お時間あって、気が向いたら、ぜひにという映画だった。
そしてみなさんがどう感じたかも、気になるところである。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
ショートでない、2時間あるものだから描ける。

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