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夢中になっていることの意義や、その難しさ

このお題は、カフエ マメヒコの井川さんが毎週放送しているイカハゲ深夜便というラジオ番組のお題からいただいたものです。

https://twitcasting.tv/ikawayoshihiro/

その時の答えを加筆してまとめました。

僕は、夢中になることの意義は、「どうすればできるか」で物事を考えて当たれるところにあるように思います。
やりたくないこと、やらされていると感じることは、やらない理由やできない理由を考えがちですが、やりたいこと、夢中なことは、どうすればできるかを常に考えられるところが良いところだと思います。


僕は小学生の時に、M&G(マジック&ギャザリング)というカードゲームの世界観に夢中で、でも当時15枚500円という超高額ホビーだったので、ファミリーマートで売られていた無印良品のわら半紙のメモ帳を買ってきて、ボールペンでひたすら再現したり、オリジナルのカードを作りまくり、一人で二人分のデッキを作り、対戦もしていた。
手に入らない中で、楽しむにはどうすればいいか考えてのことだと思う。

数年前、映画をたくさん観たから、自分でも試しにやってみるかと思って、自主映画を撮った時も、未経験、やっている人も一人もいない中から、スタッフ、出演者、物語、脚本、ロケ地、編集、上映まで全てやりながら見つけて完成までこぎつけた。

多くの思考や行動は最初の想い、つまり「やりたい」や「やりたくない」という思いに強く影響しているように思う。


難しさは、その夢中を、現実世界に何らかの「形」にして残そう、現そうとしたときに生じるように思います。
それが、「表現する形としてのクオリティ」の人も「頭の中のものとのギャップ」という人、形にする過程の「人間関係」の人もいたりで難しさは人それぞれ。

上記に上げた難しさは、僕が映画を作っていく中で感じた難しさや葛藤の部分だ。

今できる最良と、もっとできるはずだ、のバランスを取ること、それを周囲に伝えることに本当に苦労したのを覚えている。

でもスタッフの人のアイデアで作品の質が上がったことは間違いなかったし、彼らの協力なくして形には、ならなかった。


そう考えると、人はわたしの足りないところは君が、君の足りないところはわたしが、と協力し、支え合うために一人一人がそれぞれ違う、そしてその違いが尊いことなのだなぁと感じずにはいられなかった。

同じも違いも楽しめるようになりたい、とわりといつも思っている。

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