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残らない人々

ドラマ『古畑任三郎』などでおなじみの田村正和さんの訃報が流れてから、時々ドラマを観かえしている。



もちろん画像は少ないが、若かりし田村正和さんのお写真も見ることができて、ほんとうに便利な時代だなぁと常々思う。



でスゴく私事なのだが、ボクの祖父は少し田村正和さんに似ている。


でも当然祖父の画像は名前を入れても、どんなに検索しても出てこない。


写真も上げていないし、祖父が活躍していた時代はインターネットもなく、残す術もなかったからだ。


そう思うと今までいた99%の人間はボクらに知られることもなく、どこに何かを残すこともなく、跡形もなく消えている。


残っているのは、小さな小さな遺伝子だけかもしれない。



なぜ死んだらダメなのか?なぜ生きねばならぬのか?という質問がどこか違和感を感じさせるのは、おそらくこの部分からだろう。


残らない人々の残り香を遺伝子という形で搭載しているのがボクらで、彼らがいたことの記憶もまたボクらにしかないからだ。



そんな気持ちも検索できる世界が、保存できる世界が変えていくのだろうか?

ということを考えてしまう。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
じぶんだけの命だと思うと生きにくくなりそうです。

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