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次を促すことから生まれる循環

最近奥さんのおかげで朝、きちんとご飯を食べるようになった。

不思議なのは朝食べないときよりも、食べたときの方がお昼頃にお腹が空いているということ。


僕は今までコップやビンのような器状のものに点滴のような管があり、排泄へと向かう。そういった器に食べ物や飲み物が入っていき、器の内部がある程度減ってきたり、空になると空腹としてサインが表れるものだと思っていた。


しかしどうやら食事とは、食べ物とは気持ちを満たすためのものではなく、水車の水のような潤滑油であり、食事が身体中を通過することによって、あらゆる器官が目を覚まし、それぞれが役割を全うしながらかかわり合う運動、循環が起こる。
まるで1日の始まりの太陽、朝日のようなものなのではないだろうか。

そして循環が起こるということは、次に食べる食事が必要になり、それを食べるとまた身体の循環が起こり、また次の潤滑油がいる。というように食事は次を促すためのものなのだと、生きるとは次を促す運動の連続していることを言うのだな、と朝ご飯を食べると感じることができる。


お腹が空くから食べるというよりは、きちんと食べるからきちんとお腹が空くという方が、最近の感覚としてはしっくりきている。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
ファーストフードなどが、あまり良しとされないのは、空腹という気持ちを満たすことはできるけど、潤滑油にはなっておらず、身体を循環させるという意味では効果が鈍いからではないだろうか?



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