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自転車にまつわる思い出

僕は父方母方両家で久しぶりの子どもで、父方としては第一子で、父方と同居であったため、多くのものを買い与えられていたし、すべて新品であった。


自転車も例外ではなく、幼稚園の頃から黄色いマウンテンバイク(のようなもの)を乗っていた。


しかしマンションの駐車場に置いていた自転車のサドルがある日傷つけられ、何度かいたずらが続いたため、親は目立ったせいで標的にされたとおもい、僕の同級生の兄のお古の自転車を、母がもらって来て、僕はそれに乗っていた。

不思議と前のがよいとか、今のがいいとかの執着の感情はなかった。
きっとなんでも買い与えられていたからだと思う。


そしてそのお古を更に僕の弟が使うという形で、自転車は、同級生の兄→同級生→僕→弟と4人の子どもに乗り継がれた。



しかし何年かした後、その自転車は限界を迎え、弟は自分で選んだ新しい自転車を手に入れた。


そのとき、弟がしくしく泣いていた。


聞くと自分の持ち物は、ランドセルと勉強机以外大半がお古で、それらも自分で選べていない。
自分のものを自分で選べたのが、新品であることが、うれしいということだった。


弟め、兄の苦労も知らず、と思っていた僕としては弟には弟としての苦悩や葛藤があったのかと、自分の気持ちにしか目が向いていなかったこと、個々人にそれぞれの都合と気持ちがあるのだと、反省した記憶が、自転車というものを介した思い出としては一番印象深いものです。



兄には兄のめんどくささと良さがあり、弟には弟のめんどくささと良さがある。

それはそもそも関係性がなければその両方とも生まれず、感じること自体が減ってしまう。
その分楽に生きられるが、生きることの味わいはどこかここでいうめんどくささの中にある、という気がしています。

なのでめんどくさいときというのは、後で振り返れば味わいの中にいた、と言える瞬間なのかもしれないと思うので、めんどくさいことをなるべく楽しめるように心がけていたいと思います、難しいことですが。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
突然自転車の思い出の話しだったのは、『イカハゲ深夜便』というツイキャスの番組のお題が「自転車の思い出」だったので、noteに加筆して載せました。
そういえば学生時代、男同士でクリスマスに自転車で映画観に行ったら僕のだけ盗まれてて、とぼとぼ歩いて帰った自転車の思い出もあります。

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