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デザインは誰のためのものか?

昨日こんなnoteを書いた。

飲食店や宿泊施設の選び方|taiki yumoto @lan_0061|note(ノート)https://note.mu/taiki_yumoto/n/n44e0fa255395


今日もその宿泊したホテルでの話し。


今年の8月初旬は僕は腰を痛め、身体の不自由を味わっていた。
そのせいか、今回の旅程中も腰が痛かったら、どうだろう?
腰以外でも身体に不自由や痛みがあったら、どうだろう?
という視点で過ごしていた。


今回泊まった部屋は入口、トイレ、お風呂が2階、寝室とリビング、テラスが1階という二層のヴィラという造りで、移動の度に階段の昇り降りが発生する形で、腰が治っていなかったら恐ろしいと感じたが、もし泊まったのが熟年夫婦だとしてもそれは変わらないとすら思えた。

風呂の蛇口もデザイン上、位置が必要以上に低かったり、シャワーが高かったり、筋肉や身体の収縮を必要以上に必要とするデザインで、健康が前提と言わんばかりに階段だらけの東京メトロをどこか思い出した。


歩行が難しかったり、身体が不自由な人は確かに山の中にある施設なので、そもそも平らな土地ではないのだから動きが難しい、そういう場所に訪れるなら健康に不安がないことが大前提、というのもわかります。
寄り添えないところは寄り添えない、と。


けれども僕は、そういうもともとの不便を、不満を解消するのがデザインだとも思っているのです。

腰が痛い人が負担なくお風呂に入れた。
膝がいつもなら痛むはずなのに、この道は痛くなかった、あるいは歩かなくて済んだ。
階段は付けざるおえなかったけど、緩やかな角度と幅にしてあったので降りやすかった、など。

誰かの不自由や不満がなくなること、感じにくくなることは、その人達だけではなく、不自由がないみんなにとってもいいこと、進歩だと思います。

世界観や美意識、視覚的に美しいことはデザインの重要な要素です。
けれども、それと同じくらいいろんな人が、デザインによって機能的に居心地が良くなるということも、またデザインの大切な要素なのでは、と考えることができた滞在になりました。
ケガの功名?


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
だからか、僕は旅館の勾配のない平らな造りはやさしいなぁといつも思っているのです。






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