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人の外に在るもの

じぶんの中に抱えておけるものには限界がある。



ならば周りの人を頼ってというが、じぶんが抱えている苦しいものを外に出し、他人に渡すことにはやはり抵抗感もある。



ましてそれがじぶんと同じ人間ならば、その人にも抱えておけるものには限界があることも、同時にわかるからだ。



そんな時、人はじぶんの外の、かつ人でないものを頼りにすることになる。



それは小説なのかもしれない。
映画やアニメ、漫画作品かもしれない。
音楽、舞台、ダンスなどかもしれない。
スポーツをしたり、見たりかもしれない。
陶芸、絵画などの芸術かもしれない。



抱えておけないものを外に出す、もしくは活動で新たに入ってくるものによって、じぶんの中にある景色が変わる。


そうやって対処できることもあるのかもしれない。



でもそうなると気になってくるのが、現代のボクらにはそういう依存先がたくさんあるが、これまでの人々はどうだったのか?ということ。


人と必ずしも繋がれたわけでもない。
福祉もない。


そうなった時、人はどうしていたのか?


この時おそらく祈りとか神さまが出てくるのだろう。


抱えておけないものがある。
その時外の何かに祈る、話す。



このとき、神さまがいるのかいないのかなど無粋で瑣末な問題だということは、お分かりいただけるはず。


人外のものに抱えていられないものを、一時持ってもらう。


そのことで明日を送ることができる。



人の外にあるものも頼りながら、のらりくらり生きていく。
ほんとうはシャキシャキしていないのが、人の一生なのかもしれない。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
もちろん目の前の人に頼る、抱えておけないないものを持ってもらうことは大切です。




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