矛盾オッケー。一貫性中毒から抜け出そう
僕は今35歳ですが、僕らの世代って、矛盾を極端に嫌う世代なような気がします。
学校では論理的で首尾一貫した文章を書くことを求められ、会社ではロジカルシンキングを求められ、少しでも矛盾したことをやったりすると信用を失う。
でも、その、「首尾一貫してること」とか「論理的なこと」って、なんなんでしょうか?
それって、「我々が首尾一貫してると思ってること」とか「我々が論理的だと思ってること」ではないでしょうか?
論理の定義ってなんですか?と聞かれてきちんと答えられる人ってあんまりいないはずです。
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抜き打ちテストのパラドックスをご存じでしょうか?
Aさんはとある先生の授業を受けています。
先生は言いました。「来週、月~金のどこかで抜き打ちテストをします!抜き打ちテストなので月~金のどこでテストがあるかは事前に分かりません。」
そして、先生は水曜に抜き打ちテストを行いました。
するとAさんは言いました。「先生、抜き打ちテストはできないはずです。まず金曜日にはテストはできません。なぜかというと、木曜日にテストがなかった時点で抜き打ちテストは金曜日にあると分かってしまいます。これだと、いつテストがあるかは事前には分からない、というルールに反するので、まず金曜には抜き打ちテストはできません。同じように、木曜にもできません。同じように水曜もできず、、、、なので抜き打ちテストはできないんです。」
さて、Aさんのロジックはどこが間違ってるんでしょうか?
それとも先生が間違ってるんでしょうか?
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これって確か、論理学の難問だった気がしていて、両方とも論理的には間違ってないんです。でも、相容れない。矛盾してる。
論理って、崩すことのできない鉄壁のルール、みたいに思われてるかもしれませんが、実はあやふやなもんだと思うんです。
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なので、僕は、矛盾全然オッケーと思って生きてますし、他人が矛盾してても全然オッケーですし、仕事や社会生活の中で矛盾や理不尽があっても全然オッケーです。
そもそも、「論理」の定義もはっきりしていないし、よって、「矛盾」の定義もはっきりしてないと思うからです。
しいて言うなら、「論理的でなくていいこと」を論理的に説明しているこの文章にちょっとパラドックスを感じるくらいでしょうか。
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