『うっかり八兵衛』 + あとがき
小学校にあがるまでのあだ名は「うっかり八兵衛」だ。
父がよくそう呼んでいた。
私は悪口を言われるのと同じような感覚でその言葉が嫌いだった。
週末は家族全員で車でよく遠出をしていた。
ある日、私と弟を前に「このアメ玉を最後まで残した人が勝ち、勝ったら好きなものをなんでも買ってやる」と父が言った。
口に入れながらも歯と歯でアメを挟み、なんとか唾液に当たらないようにむしろ吸う息でアメを乾かすように挑んだ。
結果は私が最後まで大きいままアメを残せた。
それを見て父は「嘘をつくな」「だからお前はうっかり八兵衛なんだよ」と言った。
それでその時間はなかったものとなった。
日頃から父は欲しいものはなんでも買ってくれた。
私と弟はゲームソフトをよく買ってもらい、人様より裕福な生活をしていたと思う。
だから欲しいものを買って欲しかったのではない。
少しでも認められたい、褒められたいという一心であった。
私がそう望むときに、それが叶うことはなかったと記憶している。
数十年のときを経て、初めてネットでその名前を検索してみた。
目もとが写真でみる幼少期の自分に少し重なる と思った
そういう意味だったのかどうかも、もはやどうでもいい。
ただ、私が人の仇名をつけるセンスを周囲から褒められるのは、昔父がそうやって子供たちをからかっていたことも影響しているのかもしれない と、それこそどうでもいい事を考える。
人生に “幼少期の経験” や “父” を重ねるのは
私の悪い癖である。
そんなことよりも思うのは
自分が親にされて嫌だったことは自分の子供には絶対にしないと子供ながらに決めていたことだ。
私は私のやり方で子供を精一杯愛するのだ
と心に誓っていた。
そう思っていた私も、現実には子供を持てない
ただここにあるのはその事実だけだ。
私はその事実に痛く苛まれると
死んでもいいなどと思うわけではないが、もう人生で本当にやりたいこと、叶えたいことなどどこにもないという結論にいたり、絶望感を感じる。
とはいえ、ある事柄から勇気を持って目を背けることも大切で、小さな幸せを積み重ねていくことで人生を成形していく他に生きるすべはない。
家庭を持とうが持つまいが皆(みな)
人生を生きるのに大変だ。
終
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あとがき
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第3回となるこの投稿をお読みいただきありがとうございます。
暗い話を続けてしているという自覚があるため、お読みいただく皆様にも少なからず「重たいわ…」と思われているはずと感じており、あらためてお礼申し上げます。
こういった話題が書きたいというわけではなく、幼少期を遡って過去を綴ろうとするとどうしても暗い過去と向き合わなければなりません。
私の幼少期〜中学卒業までは割と辛い時期が続いたため、そういった話が多くなると思います。
そのうち、甘酸っぱい恋の話や平穏な日々も綴れるものと思いますので、引き続きお読みいただけたら嬉しいです。
タイファ
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