見出し画像

『しあわせもの』

時々、心に雨が降る。

今となって思うのは
あのとき、もっと考えて彼の世界を守ってあげるべきだったということ。

4番目の弟に家を出ると伝えた時、彼は声を出さずに泣いた。

気がつかえる人間であれば伝え方もあっただろうが私は当たり前のように言葉を発したあと、その反応を見て事の重大さに気づいた。

「家を出るのは辞めにする」と訂正することもできず、9歳のその小さな体を抱きしめた。

また帰ってくるかと泣きながら聞くので
「また帰ってくるよ」と言って宥めた。

私は私自身に価値を見出せぬが、それでもそこから自分がいなくなることが、彼にとってどんなに重い事実だっただろうかと思うと今でも自責の念に苛まれる。

あの場所から自分の足では離れられぬ彼のその小さな世界を、私は守ってあげることができなかったのだ。

狭い世界で生きてきたあの頃の私にとって、彼は無条件で愛せる存在であり、守りたかったものと聞かれれば唯一それだけだったと今は思えるのである。

あの光景を思い出すと目元がじんとなり、何年も経った今でも、いつでも泣けてしまうのだ。

この話をしているのは自らが不意に思い出したからではない。

仕事で地元に帰る機会があり、久しぶりに会わないかと四男に声をかけ、それに応じてくれた彼と老舗喫茶店で小1時間ほど話す時間が取れた。

近況を聞いたり家族のことを聞いたり、正月に親族で集まった時のことを聞いたりと、知らないことを補うように会話をした。

口数は少ないがそれが自然体で、笑った顔が誰よりも可愛いと兄の私は思う。

話が盛り上がり、彼が小さかった頃の昔話に及んだ時のことだ。

「子供のころ、1人用のキングダムハーツ (テレビゲーム)を2人用だと思って一緒にやっていたことと、お兄ちゃんが家を出ていく時に泣いたことは覚えてる」と彼は言った。

その出来事を10年以上のときを経て、彼の口から聞くとは思わなかったため正直驚いた。

私はあの時の心境と後悔を彼に話した。

彼は私がいなくなった後の家族とのことや祖母の家にいつも遊びに行っていたことを話した。

それを聞いて幼少期の自分を思い出した。

自分も小さい頃は祖母の家によく行っていたこと、その家にいる時だけが平穏を保てる時間だったこと、帰りたくないもう1日泊まりたいといつも思っていたこと。

過去は変えることはもちろんできないが、ただただその時のことを思い出話としてお互い淡々と話した。

1人用のゲームをさも弟が操作しているかのように褒め、自分1人で操作していたことは半分謝りつつも、兄の優しさのつもりだったと伝えた。

その後だいぶ時間が経つまで気づかなかった と弟は笑っていた。

ほとんど会うことがなくても、兄弟とは特別なものだ。

このとき、私がゲイであることを彼に話したくだりはまた別の機会に話そう。

最後は「また会おう」と、だいぶ先になるであろう曖昧な約束をして別れた。

仕事の話は多く語らないが順調なのか
そんな心配は無用だと思いながら、いつだって彼が心配である。

薄着で寒そうに肩をあげて歩く背中を見つめながら見送った。

その出来事によって、幾らばかりか気持ちはラクになったように思う。

ただ、あのとき泣いていた男の子は自分の中にいつまでも生き続け、いつも悲しさと優しさを同時に与えてくれる存在なのだ。

「それまで生きてきた中で1番と言っていいほど誰かに必要とされてた瞬間」

私はあの出来事を一生忘れない。

そう気張らずとも記憶はこの先も繰り返し脳裏によみがえるだろう。

定期的に雨が降るようにおとずれて、雨上がりにまぶしさを放つアスファルトのようにかがやいて心を照らす。

そうやって
彼の愛を思い返しながら生きることができる私は幸せ者である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?